女性化(じょせいか、feminization)、または強制女性化(forced feminization)、シシフィケーション(sissification)は、BDSMやキンクの現場で、服従側の性的役割をひっくり返し、男性に女装と「女らしい」ふるまいを課すプレイである。女性化された側はしばしばシシー(sissy)と呼ばれる。長期間かけて女らしさへ躾ける一連の調教は、シシートレーニングと呼ばれる。日本語ではメス堕ちという言葉が近い。趣味やフェティシズムとしての女性化は、トランスジェンダーであることとは別物だ。調教を受ける側の大半は、異性愛のシスジェンダー男性である。男らしさの圧力から一時的に降り、罪悪感なしに女らしさを解くための筋書きとして使われる。
シシーという侮蔑語から
Sissy を省略せずに書けば Sissy Boy である。Cissy とも書く。Nancy Boy、Pansy、Girly、Girl Boy、Fairy に近く、Fagot とも一部重なる。漫画評論家の永山薫は、語源は Sister Boy だろうと推測している。しぐさや外見が男らしくない男性一般への侮蔑で、「泣き虫」「オトコオンナ」と訳されることが多い。プレイのなかで相手をシシーと呼ぶのは、その侮蔑を性的に再利用することだ。呼ばれる側は辱められ、同時にその名前で興奮する。
ランジェリー、女名、アナル、タッキング
ドミネイションとサブミッション、変態文化における女性化は、羞恥を性的に煽るために、性的役割の転倒と、主に男性への女らしいふるまいの強制を伴う。具体的には、女性用ランジェリーを着せる、女性の行儀作法を徹底させる、女性名をつけてその名で呼ぶ、アナルセックスの受け手に回す、人工乳房を着ける、タッキング(性器を脚のあいだに隠し、前面を平坦に見せる)を行う、といった手数がある。セッションの中身は、相手がもともと持っている女性性と、手元にある女装の量で変わる。
よくあるロールプレイは次のようなものだ。ショーツや口紅を試しているところを見つかる。女ものの下着をしていたことが発覚する。お姫様である。囚われの姫(damsel in distress)、無力な女性としてふるまう。ナース、チアリーダー、風俗嬢、OLのように、女の仕事と結び付けられる職場へ「女性として」雇われる。ハフィントンポストが伝えた例では、あるドミナはヒールを履かせてから引き回して辱めた。別のドミナは、クライアント自身の女性性を問い直させるセッションを組んだ。
名前に「強制」とあるとおり、当人の意思に反して女性化させられる筋書きはよく使われる。実態では参加者の同意に基づくことがほとんどである。必ずしもBDSMの愛好者とは限らず、女装と化粧とコスチュームだけで終わる人もいる。一方でスパンキング、ペギング、ボンデージ、ペニスをクリトリス呼ばわりする Small Penis Humiliation(SPH)のような羞恥が重ねられることも多い。強制女性化が盛んなのは欧米だが、日本にも例はある。2009年時点で、東京・横浜に女装プレイ特化の個人主宰SMクラブ「Paradiso」があった。顧客の男性は主宰者と一対一で女装させられ、調教を受ける。料金は高額で、週末の予約は取りにくかったという。
シシートレーニング、メイド、スラット
フェミナイゼーションの一つの型が、シシートレーニング(sissy training)である。調教する側が相手をシシーとして長期的・漸進的に躾け、極端なまでに女性的なふるまいと女らしい活動へ参加させる。女装、性器を含む全身の剃毛・除毛、化粧、女ものの下着が基本になる。極端な場合は、より女性的になるための投薬や去勢手術まで語られる。性的な調教と並んで、化粧や家事清掃のような非性的な訓練も課される。
より狭い型として人気なのが、シシーメイドトレーニングである。フリル付きで露出の多いメイド服、フレンチメイド、ラバー製のメイド服を着せ、従順に家事をさせ、パーティーで飲み物や食べ物を給仕させる。支配側の役は家事の監督だ。失敗が些細でも予定調和でも、お仕置きとしてスパンキングし、辱め、縛る。作業を「達成した」ときには、射精やオーガズムが褒美として許されることがある。
スラットトレーニングもよく組まれる。露出が高く体型がはっきり見える「ふしだらな」女装を着せ、淫らさや貞操観念の欠如をなじり、笑う。内気さや決まりの悪さを、挑発的で性的に能動的な態度へ作り替えるのが目的だ。尻や性器を丸出しにする扇情的なポーズ、状況に応じた体勢を取れるよう訓練する。広義のスラットトレーニングでは服従側の大半は女性で、調教側のジェンダーはさまざまである。シシーメイドでは、調教側は一般に女性が担う。
男らしさの圧力と、「無理やり」の免罪符
セックスワーカーへの取材をまとめたハフィントンポストの記事では、強制女性化は顧客の性的願望のなかでもっとも人気なものの一つだった。あるドミナは、セッション相手の大半が女性化させられる願望を持っていたと語っている。ダニエル・J・リンデンは著書『Dominatrix』で、性風俗サービスの利用者サンプル305人のうち、3分の1以上が女装させられることへの関心を抱いていたと書いた。Vice によると、調教される側の大多数は異性愛のシスジェンダー男性だが、バイセクシャルやパンセクシャルの男性、ジェンダーフルイッド、トランスジェンダーの参加者も少数いる。性社会文化史研究家の三橋順子は、女装者の性的指向が男性に向いているとは限らず、女性好きの女装者も相当数おり、強制女性化のサービスはそのような異性愛の女装者にも需要がある、と分析している。
情報サイト Kinkly は、女性化の魅力は、男らしさを保てという社会的圧力から来ると説明する。「女らしく」ふるまうことが男性に罪悪感を抱かせる。女性性に惹かれた男性が「強制的に」女性的な行動をさせられるとき、他人から無理やりやらされたという筋書きは、女らしさのはけ口を与えると同時に、内面の罪悪感を軽くする。クラウディア・ヴァリンは『The Art of Sensual Female Dominance』で、社会的な汚名のため、すでに成立している性的パートナー同士でもこの性癖について切り出すのは難しいかもしれない、と書いた。女性化を、内面のセクシュアリティを探る手段にしている人もいる。
BDSMのなかでの魅力は、立場で分かれる。服従側にとっては、無力な立場を堪能しながら、ロールプレイの「女性的」な役割を補強できる。支配側にとっては、相手の「女性のペルソナ」を引き出すこと、あるいは男らしさの欠如を性的に貶めることを楽しめる。バイオレット・ブルーは『Fetish Sex』で、他者から見ればこの性癖が女性の価値を貶めているように見えても、女性化される側は概して女性への尊敬を持っている、と述べた。サブリナ・ラメは『Gender Reversals and Gender Cultures』で、強制女性化がフェムドムとセットで扱われるため、知らない人間には「女性らしさが屈辱の源」と「女性崇拝」が矛盾して見えるかもしれないが、実際はそうではない、と書いた。女装行為そのものが調教している女性の優位性の証であり、男性側の屈辱は「男なのに女装させられる」という文化的タブーから来る。二つの要素はロールプレイのなかでも独立している、というのがラメの整理である。
性的フェティシズムとしての女性化は、トランスジェンダー女性であることとは大きく異なる。ただしアナ・ヴァレンスがデイリー・ドットに書いたとおり、女性化はトランス女性にも見られる性的願望でもある。自身のジェンダー・アイデンティティが女性だと認める前段階として、女性化ファンタジーを通じて「女性として扱われたい」というスティグマ化された欲求を満たす、という経路が語られる。趣味のプレイと、アイデンティティの移行は、同じ衣装を使っても別の話だ。
ヴィクトリア朝の小説から FictionMania まで
女性化はフィクションの主題としても長く使われてきた。典型は、男性キャラクターが妻やガールフレンド、あるいは罰として強制的に女性化されたあと、女としてやり過ごさなければならない状況に追い込まれる話である。女装だけでなく、魔法のような肉体改造が乗るバリエーションもある。成人向けでは、女性化されたキャラクターがフェラチオをさせられる展開が多い。
近代ポルノグラフィにおける女性化の萌芽は、19世紀末、ヴィクトリア時代後期のイギリス小説にすでに見える。現代ではインターネット上の公開が主で、FictionMania などに投稿が集まる。永山薫は FictionMania のシシーものを調査し、女装小説全体に占める割合は少ないとしつつ、カテゴリが偏在していると報告した。バッドボーイからグッドガールへ、年齢低下、スクールガール。キーワードではブライズメイド、フレンチメイド、オムツまたは幼女、ペティコートとクリノリン(ペティコーティング)。定型として永山が挙げるのは、たとえば継母に懲罰として女装させられ、男の服を全部処分され、パーマを当てられ、ピアスをさせられ、女子校に編入させられ、家ではメイドとして雑用を強いられる、といった筋である。
雑誌では『Forced Womanhood!』が、エロティックな強制女性化小説とイラストの発表の場になってきた。別の形態として、写真に強制女性化キャプションを添える作品がある。写っている女性の同意や承認を得ずに行われることがある。書き手のなかにはサブスクリプションで資金を集める人もいるが、プラットフォーム側の抵抗に遭うこともある。2019年、Patreon が、強制的な変身要素のある女性化やシシフィケーションを含む特定の性的コンテンツを排除すると報じられた。
1950年代のアメリカでは、初期のボンデージアートの作家が女性化を描いていた。ジーン・ビルブリュー、エリック・スタントン、ビル・ワードが例に挙がる。ビジュアルアーティストのリオ・ソフィアは、『Forced Womanhood!』に影響を受け、その名を冠した強制女性化の自画像シリーズを作った。作品は好評だったが、ソフィアは評価に困惑した。トランスジェンダー・ナラティブへの批判として作ったのに、大学側はそれをトランスジェンダー・ナラティブとして展示したからである。
テレビでは、米国ドラマシリーズ『LAW & ORDER:犯罪心理捜査班』のあるエピソードで、キャラクターが「おかしな女装家」として登場した。ヘレン・ボイドは著書『My Husband Betty』で、現実の強制女性化の性的妄想と、それに興味を持つ男性のあり方は、その描写とはまったく違う、と書いた。成人向けVRゲーム『Dominatrix Simulator』は、当初操作キャラクターを一般的な男性に据えていたが、プレイヤーの要望で男性以外の性別を選べるようにし、強制女性化のロールプレイも可能にした。
日本のメス堕ちと、男の娘
日本国内でシシーに相当するジャンル語が、メス堕ちである。ライターの昼間たかしは、2019年におたぽるへ寄せた記事で、成人向け漫画においてシシーものはあまり見られないとしつつ、セクシュアリティをオープンにすることへの抵抗が下がればジャンルは成長するだろう、と書いた。日本には別に、「男の娘」と呼ばれる、女装して変身する女性化物語の類型があり、人気を博している。永山は、日本の男の娘漫画の衣装や物語は欧米のシシーにも通じると述べ、主人公が少女姿を強制される『少年メイドクーロ君』『ブロッケンブラッド』『メイドいんジャパン』を挙げた。
『ブロッケンブラッド』は、主人公の健一が女装させられ、魔法少女として戦う設定である。おたく文化史研究家の吉本たいまつは、健一が無理矢理女装させられて敵と戦い、毎回お約束のように衣装が破れて恥ずかしい姿を晒す展開が、読者を惹きつけたのではないか、と述べた。女装少年のマニア誌『オトコノコ倶楽部』VOL.1 には『少年メイドクーロ君』のレビューが載っている。大富豪の御曹司に女装メイドとして仕えるツンデレのクーロ君は、満員電車で痴漢されたり、学校で調教プレイを受けたりと、主人からさまざまな辱めを受ける。レビュアーは「ツンデレ+強制女装という最強方程式」と題し、エッチな下着を付けられたクーロ君が過酷な尿道責めに気が狂わんばかりにイかされる、と評した。
強制女性化は、女装コスプレでもトランスの医療移行でもなく、同意のうえで「無理やり女にされる」筋書きを共有するプレイである。シシー、メイド、スラット、メス堕ち、男の娘——呼び方は場所で変わるが、男らしさの衣装を脱がされ、女の名前と下着とアナルで立て直される過程が核だ。欧米のドミナのセッション、FictionMania の小説、1950年代のボンデージ絵、日本の個人クラブと成人漫画。同じ欲望が、言語を変えて繰り返されてきた。
芸術の添え書きと、漫画の呪い
女性化は性愛文学だけでなく、写真やイラストレーションにも取り上げられてきた。本来BDSMや女性化と無関係な写真に、強制女性化の文章を添えて新しい文脈を与えることもある。漫画では呪いやギャグの一環として人気の主題になる。文学と視覚が組み合わさるとき、キャプションが写真をシシーものへ読み替える。書き手はサブスクリプションで資金を集めることもあるが、2019年の Patreon 排除が示すとおり、強制変身とシシフィケーションはプラットフォーム側から切断されやすいジャンルでもある。
エイジプレイと組み合わせて、主体性の放棄を主眼に置くセッションもある。支配側は、相手の内面にある「女性的なペルソナ」を引き出すことを楽しむ。ハフィントンポストが伝えたドミナの二つの型——ヒールで引き回す辱めと、女性性そのものを問い直させる対話——は、同じ強制女性化でも、羞恥の見せしめと、アイデンティティの探査が同居していることを示す。SPHでペニスをクリトリスと呼ぶ手数は、その探査を身体の寸法へ落とす。ペギングとボンデージは、受け手としてのアナルを「女のセックス」として固定する。
Gloria G. Brame の『Come Hither: A Commonsense Guide to Kinky Sex』(2000年)は、キンク入門の側からこのプレイに触れている。三橋順子は「変容する女装文化」(『コスプレする社会』、せりか書房、2009年)や、2012年の論考「強制女性化(Forced Feminization)について」で、異性装と自己表現の文脈から需要を読んだ。永山薫は『オトコノコ倶楽部』VOL.2 の「欲望の衣裳」や、2022年の「英仏強制女装少年小説の系譜」で、FictionMania のカテゴリ偏在と、日本の男の娘への接続を追っている。吉本たいまつは『ユリイカ』2015年9月号特集「男の娘」で、二次元の女装少年が「男の娘」へ移る過程を書いた。参考文献のISBN列はここには置かない。残すのは、シシートレーニングとメス堕ちが、英米のドミナ文化と日本の成人漫画の両方で、同じ「強制」の免罪符を使ってきたという事実である。











