緊縛師(きんばくし)は、おもにSM業界を含むアダルトの場で、人を緊縛の技術で縛り、調教を仕事にする者を指す。縄師とも呼ばれる。海外ではロープアーティストと呼ばれることもある。縄を娯楽や見世物、調教の道具として使う職能であり、手錠代わりの捕縛を本業にした時代の「縄師」とは、同じ言葉でも中身が違う。BDSMのボンデージ、とくに日本の緊縛(kinbaku / shibari)を商売と公演の技術として担う人が、いまこの語の中心にいる。
江戸時代の縄師:捕縄術と責め絵
古く江戸時代において縄師といえば、武術としての捕縄術の師か、浮世絵などで責め絵・縛り絵を得意とする絵師を指す言葉だった。人体を縛ることは高度な技術を要し、手錠など罪人を拘束する手段が不足していた時代には、きわめて実用的な技能として学ばれていた。縄の位置、結び、連行の仕方は、捕らえた相手を逃がさず、しかも殺さないための技術だった。その時代から緊縛に性的な意味がまったく無かったわけではないが、広く認知されていたわけではなく、現代のような性風俗産業としては成立していなかった。責め絵・縛り絵の絵師は、縄を仕事にするのではなく、縄を描く仕事をしていた。
明治以後:フェティシズムと失伝
明治以降、緊縛は性的フェティシズムとして認識され始める。それでもなお、画家や警察機関が習得する技術としての面が強かった。時代が下るにつれ、縄師という言葉から武術的な意味は薄れる。手錠の普及も大きい。江戸時代の緊縛術は徐々に失伝していく。捕縄の実用と、責め絵の視線と、のちのSM職能は、一本の直線ではつながらない。手錠が日常の拘束具になると、縄で人を縛る必要は警察の側から減り、残った縄の技術は絵と、やがて性風俗の側へ寄っていく。
戦後、SMショーとビデオで職業になる
日本では戦後、性風俗が栄えるなかで、SMショーやSMビデオの隆盛とともに緊縛師という職業が成立するようになった。舞台と映像が、縄を見せる仕事を必要とした。ショーの会場で縄をかけ、ビデオで縄を記録する——その需要が、捕縄の師範でも絵師でもない職能を作った。基本的には男性が多い職業だが、女性の緊縛師も存在する。日本人だけではなく、外国人の緊縛師も数多く存在する。海外のロープアーティストが日本の緊縛を名乗り、日本の縄師が欧州のフェティシズム舞台に立つ、という往来もある。縄師、緊縛師、ロープアーティスト——呼び方は媒体と国で変わるが、いまこの語が指すのは、捕縄の師範ではなく、SMとアダルトの場で縄を仕事にする人である。調教、緊縛、SM(性風俗)が隣接語として並ぶのは、この職能が武術の系譜ではなく、戦後の見世物と映像から成立したからだ。










