緊縛(きんばく)は、麻縄や綿ロープなどで人体をしっかりと縛ることである。日本のSMとフェティシズムのなかから生まれ、海外ではKinbaku、Shibari、Japanese Bondageと呼ばれる。いまはSMの枠を越え、禅、ヨガ、現代アートにも取り込まれている。縛られる側を縛り子、縛る側――多くはプロ――を緊縛師という。麻と綿、縛り子と緊縛師、亀甲と菱縄。対になる語で現場は話してきた。
首・血流・合意
縄は首と手足の血流に直接触れる。きつく長く置けば壊死や死に至る。合意のない拘束は遊びではない。嫌がったら止める。この三点は、入門向けの空疎な注意書きとして並べるためではなく、緊縛が成立する前提である。以下に名前の出る型は、戦後SM誌と現場で定着した呼称の整理であり、手順書ではない。名前を覚えることと、首と血流を壊さないことは、別の話である。
捕縄起源説は俗説
緊縛の起源を江戸時代の捕縄術に求め、日本の伝統文化と直結させる話は、欧米を中心に広く流通しているが事実無根である。戦後の緊縛師が捕縛術を参照し、技術として取り入れた例はある。それは起源が捕縄だという意味にはならない。月岡芳年らの無残絵は緊縛された人物を描いて流行したが、絵画であり、実践との直接の系譜を示す史料は見つかっていない。大正から昭和にかけて責め絵を描いた伊藤晴雨は、妻をモデルに妊婦の逆さ吊り実験を行い、芳年の「奥州安達がはらひとつ家の図」が想像で描かれたものだと結論づけている。無残絵は見るための絵であり、晴雨の実験は絵の検証であって、現代の緊縛教室の起源譚にはならない。
先駆は伊藤晴雨、本格的な文化形成は1950年代以降の雑誌『奇譚クラブ』である。担い手は、絵師でもあった須磨利之、『奇譚クラブ』の緊縛グラビアを長く担当した辻村隆、そして『読切ロマンス』の編集者で、同誌に『奇譚クラブ』より早く緊縛グラビアを載せた上田青柿郎である。絵とグラビアが先にあり、のちに型の名前が誌面と現場で固まっていく、という順番が、この文化の実際に近い。日本のSMでは緊縛が必須に近く、亀甲縛りなど多様な型が考案されたのは、戦後SM雑誌の発展による。1968年(昭和43年)創刊の『SMマガジン』では、編集者・飯田豊一らを中心に縄目の美しさへのこだわりが強まり、型はより複雑になった。捕縄術を参照した戦後の緊縛師がいることと、江戸の捕縄が起源だという話は、分けて書く必要がある。
なぜ「ただ縛る」では足りないか
人体は不定形で個体差が大きい。両手を束ねただけではすぐほどける。関節の自由度を無視して縄をかけた結果である。緊縛には一定の技術が要る、とされる所以だ。目的は拘束された状態で長く置くことにあり、血管を潰して四肢を壊死させたり死なせたりすることは避けねばならない。柔術各流派には、捕縛に従事した役人が伝えた独自の縛り技法があった。関節で動きを殺し、体が動いて結び目が緩まないよう固定する、という発想はそこから語られる。首に荷重をかけない、血流を見続ける、止まったら解く――名前の型より先に来る。
麻縄と綿ロープ
使われるのは主に麻縄と綿製ロープである。緊縛用の麻はジュートが主流で、伸縮が少なく向きやすい。表面にケバが立つため「なめし」と呼ばれる処理や手入れが要り、怠ると相手に掻痒感を与える。滑りにくい自然素材で、細かなざらつきが皮膚を受け止め、過大な力がかからない限り皮膚を傷めにくいとされる。綿ロープはやや伸縮し、見た目はソフトで鮮やかだが、力をかけたとき皮膚との摩擦が少なくズレやすく、擦過傷の可能性が残る。ジュートの手入れと綿のズレは、型の名前より先に皮膚へ出る差である。禅やヨガ、現代アートが縄を借りるときも、素材のこの差は残る。
名前として残った型
手首・足首では手錠縛りが挙げられる。上半身では高手小手縛り(後手胸縄縛りとも呼ばれ、名称は複数ある)が最も一般的とされる。後ろ手の手首を肘より上で固定し、胸の上下に胸縄を巻く型で、二本を使う、三本目で梁へ吊るす、といった説明が現場語として残る。一本目が手首と胸の上、二本目が胸の下、という分け方も、同じ名前の下で語られる。片手小手は一方の腕だけを背後に回し、首縄と胸縄で上半身を固定する。片手が空くので、何かをさせるための縛り、とされる。合掌縛りは背後で合掌させて固定し、柔軟でないと難しい。鉄砲縛りは片腕を肩の上から、もう一方を側面から背中へ回す、鉄砲を背負う形に見立てた名である。後頭両手縛りは両手を頭の後ろで組んだ状態で、西洋では服従のポーズとされる。乳房縛りは乳房を上下から潰すようにかける。これらは型の名前と見た目の整理であり、結び順の教程ではない。
全身では海老責めがある。座禅の脚のまま頭を足へ近づけて固定する。体を海老のように曲げるから、あるいは顔が茹で海老のように赤くなるから、という二説がある。元は江戸時代の拷問である。逆海老は上半身を縛り、脚を背中側から頭へ近づけて背中を反らせる。英語ではhogtie(豚を吊るす縛り)と呼ばれる。座禅縛りは座禅の脚を縛り、手は背中側へ。足首と首を近づければ海老責め、前へ倒せば座禅転がしになる。蟹縛りは左右で手首と足首を別々に束ね、四つんばいにする。亀甲縛りが最も有名で、首から股間、背中へ回した縄を開き、胸のあたりに六角形を作る。縄目が見栄えするため、手首を縛らず飾り縄にも使われる。菱縄縛りは正面の縄目が六角形ではなく菱形になる。ホグタイの名も、全身拘束の語として並ぶ。海老と逆海老、亀甲と菱縄のように、名前は対になって残っている。首に縄がかかる型では、名前より先に血流と停止が問題になる。
映像・人物
近年の映像や雑貨でも、縄で体をきつく縛る文化は題材になり続けている。2013年には映画『自縄自縛の私』が公開され、公式サイトは「自分を縛ることで自分を解き放つ」と記した。同年、SM漫画『ナナとカオル』の劇場版2作目も公開されている。デザインフェスタには、可愛いマスコットを亀甲縛りにした「緊縛ストラップ」も置かれた。亀甲の六角形は、緊縛のなかでもいちばん外へ出やすい図像である。
緊縛師・調教師としては明智伝鬼、乱田舞、志摩紫光。作家・画家では団鬼六、千草忠夫、椋陽児、伊藤晴雨、田亀源五郎、山本タカト、笠間しろう、桐丘裕之、水城淳。一鬼のこは樹木や石、球体など人間以外の緊縛を始め、ロープアートとして評価された。写真家では杉浦則夫、荒木経惟(『SMスナイパー』に緊縛写真を載せ、アラーキーのモデルになりたい女性が引きも切らなかった)、田中欣一。関連して語られるのはSM、緊縛師、捕縄術、自縛、拷問である。起源神話より、戦後誌面と現場で固まった名前と、首と血流を壊さないという下限の方が、この語の中身に近い。ジュートのなめしを怠れば痒みが出る、綿はズレて擦過傷を残しうる、両手を束ねただけではほどける――素材と関節の話は、型のカタログより先に来る実務である。合意、首、血流、停止。この四つが欠けた縄は、KinbakuでもShibariでもない。











