筆責め(ふでぜめ)は、BDSMのなかでも筆や刷毛の毛先で相手の肌をくすぐる責めである。素肌でも薄い下着の上からでもよく、皮膚の神経を撫でて、くすぐったさと焦れったさを同時に立たせる。ある種のマゾヒストにとっては、その混ざった感覚が性的な快感へ転じていく。笑い声、泣き声、どちらともつかない悲鳴が上がることも多い。SMの道具立てとしては危険度が比較的低く、責め手の技巧と受け手の素質が噛み合うと効果も見栄えも出る。SM愛好家にとって見栄えが良い場合も少なくない、というのが映像で多用される理由でもある。アダルトビデオやポルノ映画ではよく撮られる一方、小説では微妙な感興が書きにくく、筆力のある作家を除けば登場は少ない。くすぐったさが快感へ転じる過程は、画面では笑い声と身もだえで足りるが、活字では神経の描写が要る。千草忠夫のような書き手を別にすれば、SM小説の道具立てとしては縄や鞭の陰に隠れやすい責めである。
どこを責めるか
通例は、受け手が女性なら乳首、クリトリス、蟻の門渡りといった俗に神経のツボと呼ばれる性感帯を筆で撫でる。ただし責めるべき部位は決まっていない。責め手が相手の多様な性感帯や敏感な場所を探し、そこを毛先でくすぐればプレイは成立する。ツボを決めて当てる責めというより、探りながら反応を拾う責めである。決まった「正解のツボ」より、その場の反応を追う責めである。SM映像では見栄えがよく、小説では書きにくい、という媒体の差は、この微細な皮膚感覚のせいでもある。
緊縛と剃毛
裸身を緊縛したうえで筆責めを受ける例は多い。くすぐったさで本能的に身をかわすのを止める意味が強い。本人が筆責めを望んでいても、体は逃げようとする。そのズレを倒錯として使うなら、縄は補助になる。首と血流、合意、止める合図は、縄を足した瞬間から別問題になる。筆そのものは軽い道具でも、動けない状態でのくすぐりは別の負荷を持つ。
剃毛も、筆責めの前段として効く。羞恥や征服欲のための剃毛はSM全般にあるが、筆責めでは性器周辺の神経を庇っていた陰毛を除き、むき出しの皮膚へ毛先を直接当てる、という興趣がはっきりする。剃ったあとの感覚は、筆の種類より先に変わる。剃毛は羞恥の演出でもあり、筆先が当たる面積を増やす準備でもある。どちらを主にするかは責め手の狙い次第だが、筆責めとの組み合わせとして原文が挙げるのは後者の興趣である。
ボディペインティングと筆の種類
性行為としてのボディペインティングは、筆責めの変形、あるいは一種と見てよい。裸体に絵を描く目的があっても、実働は素肌の上で筆を動かし、神経と性感帯を刺激することになる。趣旨はほぼ同じである。千草忠夫のSM小説『華麗なる肉のキャンバス』は、ボディペインティングと筆責めを主題にした作品として挙げられる。
性行為専用の筆というものは見当たらない。市販の筆、画家や書道家の筆で足りる。毛先の硬さ、柔らかさ、穂の量は、責め手の技量と受け手の感度の相性で変わり、これ、という一本はない。刷毛も、使い方次第で効く。アヴァのSMビデオ『実録女子大生秘話 密戯の誘惑』では、高木ゆうが演じる女子大生が、サディストの大学教授にベッド上で全裸緊縛されたまま、乳首や性器へ長く筆責めを受ける描写がある。映像の側では、筆は緊縛のあとに来る責めとして定着している。高木ゆうの場面は、裸身緊縛、乳首、性器、長い時間、という筆責めの型を、そのまま画面に置いた例である。千草の小説が筆と絵の感興を活字で追うのに対し、アヴァのビデオは同じ責めを視覚の側から繰り返す。専用の筆は無く、画家の筆と刷毛で足りる、という道具の話と、縄と剃毛で逃げ道を塞ぐ、という補助の話が、この責めの両輪である。












