ロバート・メイプルソープ(Robert Mapplethorpe、1946年11月4日 – 1989年3月9日)は、アメリカ・ニューヨーク州ロングアイランド生まれの写真家である。ブルックリンのプラット・インスティテュートでグラフィックアート、絵画、彫刻を学んだ。在学中、「パンクの女王」パティ・スミスと同棲する。美術コレクターのサム・ワグスタッフに見出され、花、ヌード、セルフポートレイトのモノクロで知られるようになった。レザーと裸体、男性器を正面から撮った作品は、芸術か猥褻かの境界を繰り返し揺らした。1986年にエイズと診断され、3年後に死去。42歳だった。率直で官能的な中期の作品が、公費で買うに値する芸術かどうか——その論争が死後も続いた。
レザー、ヌード、花
メイプルソープの画面は、静物としての花と、レザーシーンの身体と、スタジオで整えたヌードが同じ硬度で並ぶ。革のハーネス、裸体、性器のクローズアップは、BDSMの視覚を美術館の壁へ持ち込んだ。ワグスタッフとの関係は、資金と視線の両方を与えた。パティ・スミスとの共同生活は、後年ドキュメンタリーでも語られる。写真集『BLACK MALES』(1980年)、『Lady, Lisa Lyon』(1983年)、PARCO出版の『ロバート・メイプルソープ写真集』(1987年)、ジョーン・ディディオン文の『メイプルソープと美神たち』(JICC出版局、1989年)、『Mapplethorpe』(1992年)、『メイプルソープの花』(JICC出版局、1992年)が主な刊行物である。ワグスタッフとの関係を追った映画『メイプルソープとコレクター』もある。
日本の税関、二度の裁判
1992年8月、ソフト開発会社の社長が、ホイットニー美術館が1988年7月から10月に開いた回顧展カタログ『Robert Mapplethorpe』を輸入しようとして、東京税関長から輸入禁制品の通知を受けた。1993年6月1日、東京地裁に処分取消を求めて提訴。1994年10月27日の地裁判決、1995年10月31日の東京高裁判決はいずれも請求を棄却。1999年2月23日、最高裁第三小法廷も棄却したが、尾崎行信、元原利文の両裁判官が反対意見を書いた。
同年9月、出版社社長が国内で売られていた写真集『Mapplethorpe』をいったん国外へ出し、帰国時に成田空港の税関で「わいせつ」と判断され、持ち込みを禁じられた。2002年1月、東京地裁は「すでに国内で芸術書として流通していた」として禁制品に当たらず、処分を取り消した。2003年3月、東京高裁は「男性の性器を露骨に写したわいせつな図画」と認定し、一審を取り消して請求を棄却。2008年1月、最高裁は口頭弁論を開き、2月19日、二審を破棄して税関処分の取消を命じ、国側敗訴が確定した。同じ写真集が、一度は国内で売れ、一度は空港で止められ、最高裁で芸術として通った。レザーとヌードの写真が、日本の猥褻規制の試験紙になった事件である。
ホイットニーの回顧展カタログが1992年に止められ、国内流通していた『Mapplethorpe』が1999年に成田で止められた。二つの事件のあいだで争点は同じで、男性器の露骨な描写が芸術か猥褻か、だった。1999年の最高裁第三小法廷は輸入禁止を維持しつつ反対意見を残し、2008年の最高裁は税関処分を取り消した。公費で買うに値するか、税関を通してよいか——メイプルソープのレザーとヌードは、アメリカでも日本でも、制度の側から問い直された。花の静物と同じ硬度で性器と革を撮ったことが、その問いを避けられなくした。











