『徳川いれずみ師 責め地獄』(とくがわいれずみしせめじごく)は1969年公開の日本映画である。R-18(旧成人映画)指定。吉田輝雄主演、石井輝男監督。東映京都撮影所製作、東映配給。併映は『懲役三兄弟』(菅原文太主演、佐伯清監督)。石井の「異常性愛路線」第6作。江戸時代、兄弟弟子の二人の刺青師が、腕と名誉をかけて美しい女体の柔肌に彫った刺青で競う。その過程で串刺し、ノコギリによる首切り、女体逆さ吊り、白人女の人間屏風、女体凧あげ、竹のしなりで空中股裂き、人間針ねずみ、女体ワイン熟成、三角木馬、水車責めなど、23種に及ぶ責めの極致が展開される——名目だけ記す。過激さゆえに主演女優が撮影途中で行方不明になり、京撮で石井排斥運動が表面化した、いわく付きの一本でもある。
企画とタイトル命名は当時の東映企画製作本部長・岡田茂。「このタイトルで行け」と命じて製作が始まり、1968年のオムニバス『徳川女刑罰史』第三話「刺青責め」を全面展開した。手掛けた映画を全部当てる石井を岡田は「映画の天才」と呼び、ラインアップの穴は全部「石井物」と書いた。本作は1969年ゴールデンウィークの重要週間に置かれた。監督は石井輝男、企画は岡田茂・天尾完次、脚本は石井輝男・掛礼昌裕。撮影・わし尾元也、美術・雨森義允、編集・神田忠男、音楽・八木正生。彫秀を吉田輝雄、彫辰を小池朝雄、お鈴を橘ますみ、由美を片山由美子、お竜を藤本三重子、鮫島を田中春男。ハニーをハニー・レーヌ、鬼吉を芦屋雁之助、女牢名主を賀川雪絵、お絹を葵三津子。
岡田の指示を受けた掛礼昌裕がプロットを書き石井に提出する。石井は中盤の山場になる墓場のシーンを一番前に出すことを提案し、再構築した。流れがうまくいかず、過去形で出せばいいと言い、それでも詰まるとさらに遡るとどうかと話し、過去から大過去へ縦横無尽に一つの世界ができた。長崎出島の猥雑なシーンは当初ワンシーンだけだったが、石井が途中から膨らませたいと言い出し、撮影に入って書き足した。主演の由美てる子が、逆さ片足吊りなど悲鳴を上げる過酷な撮影に失踪し、代わって当時20歳の片山由美子が抜擢される。片山は『平凡パンチ』で脱いだことがあり、本作に脇役で入っていた。どうせ脱ぐなら主役で脱いだ方がいいと喜んだが、吊るされ縛られグルグル回され、自分が惨めで涙が出たという。前貼りも無い時代で、局部には絆創膏を貼った。任侠全盛の京撮ではピンク路線は異端で村八分だった、と片山は話す。ハニー・レーヌは『徳川女刑罰史』では一介の拷問モデルだったが、本作では主役級に抜擢され、夜光塗料入りの刺青を全身に彫られる女を演じる。公開時点ではまだ無名だったが、1969年夏、東京12チャンネル土曜深夜『ナイト・スポット』のカバーガールに起用され、全裸で番組冒頭に登場して一気に知名度を上げた。日本人説もある。
女優やスタッフを容赦なく扱う石井と、営利追求だけの製作を続ける岡田に不満を抱く助監督一同が、撮影中の1969年4月14日、京撮の組合掲示板に声明文を貼り出す。朝日新聞がバッシング運動を展開した。マスメディアに多くの醜聞を提供したが興行は振るわず。予算も削られ、京都に近い裏日本でロケし、信頼できるスタッフだけで完成させたのが、同じ1969年10月19日公開の『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』だった。排斥運動の影響もあり、まともに相手にしようとする評論家は当時皆無で、興行も惨敗。岡田と石井の異常性愛路線は惨めな終焉を迎える。
1980年代、アメリカから「カルト映画」の概念が入り、異常性愛路線も再評価された。桂千穂はとくに本作を絶賛し、石井の最高傑作どころか日本映画の最高傑作と評した。杉作J太郎は「全世界の映画の頂点」とし、「すべてが偶発的というか、シナリオがちゃんとあるのにすべてがアクシデントに見える」と話す。本作が日本より先に海外でビデオ化されると、ファッション感覚のライトな入れ墨しか知らなかった外国人は、日本人が快楽と拷問の証として背負うエキセントリックな入れ墨に度肝を抜かれた。外国人の娘を誘拐して全身に蛍光色の刺青をほどこし、暗闇のなか全裸で踊るシーンは「まさしく本物の60年代サイケデリア」と言わしめた。2000年代以降、石井作品は欧州、とくにイタリアやスペインでカルト的人気がある。23種の責めと蛍光刺青と失踪した主演は、路線のピークであると同時に、現場が壊れた記録でもある。
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