乳房縛り(にゅうぼうしばり、ちぶさしばり)は、女性の乳房を性的嗜虐の目的で緊縛することである。縄のほか、細紐、鎖、皮革バンド、乳房専用の拘束具を使う。女体緊縛のなかで、乳房は陰部や尻と並ぶ核であり、縛ったあとの変形を眺めることが目的になる。女性の緊縛は、動けなくすることだけが目的ではない。嗜虐の対象である乳房・陰部・尻を縛ることで、拘束された女体の猥褻な肉体美を強調する——それが女縄である。女縄は江戸時代、女囚を縛るために考案された縄掛けだが、現代では倒錯的な性的欲望を満たす女体緊縛の術になった。
昭和40年代になると、日本の乳房縛りは乳房を縄で厳しく圧迫して絞り出し、柔肉の膨らみを強く変形させ、強調する掛け方になった。辻村隆の緊縛写真入り手記『カメラ・ハント』、団鬼六の嗜虐小説が『奇譚クラブ』に出る頃である。それ以前の女体緊縛では、後ろ手縛りの縄を無造作に胸へ回した胸縄が多く、欧米のボンデージでは最近までその傾向が見られた。昭和40年代には月刊SM雑誌が次々と創刊され、別冊の緊縛写真集も出た。団鬼六の人気嗜虐小説が次々と映画化されてヒットした。谷ナオミ、高倉美貴『修道女縄地獄』、麻吹淳子ら女優の緊縛映像とともに、「調教」「縄」「奴隷」といったキャッチコピーが公共媒体に出る。女優のなかで異色なのは、緊縛ヌードモデルから一般女優になった東てる美である。『花と蛇』は杉本彩の主演でも映画化された。
海外では、日本の女縄としての乳房縛りが「Shinju(真珠)」という和名で呼ばれる。Sakura(股縄)、亀甲縛りなどの緊縛術とともに、世界の愛好家へ広がった。日本人緊縛師は世界で人気があり、「Sensei」と敬意を込めて呼ばれる。明治18年、月岡芳年の「奥州安達ヶ原ひとつ屋の図」が女の責め絵の発端と言われる。戦前の責め絵の第一人者となった伊藤晴雨も同系統の題材を描いた。戦後、責め絵の題材は残酷・無残絵から、好色な女縛りと女責めへ移る。喜多玲子、椋陽児、沖渉二、小妻容子、前田寿安、鏡堂みやびが誌面を賑わせた。
乳房責めには蝋燭責め、女体燭台、竹のしなり、乳房枷がある。S的傾向が強まると、乳房や乳首に針を刺したり、乳首にピアスリングを通したりすることもある——手順は書かない。乳搾りは一部の愛好家に人気がある。中国では嗜虐趣味としての女体緊縛が近年盛んになったが、裸体の女性の緊縛映像・画像の投稿と閲覧は禁止されている。中国独特の掛け方として、背後から左右の肩越しに縄を前へ引き、襷をかけるように縛る型があり、チャイニーズ・ボンデージ・スタイルと呼ばれる。



