ラバーフェティシズム(Rubber Fetishism)は、フェティシズムの一種である。他者、または自分自身をゴム(ラテックス)の衣服で覆う、あるいは着飾ることに性的魅力を感じる。ラテックスフェティシズム、ゴムフェティシズムとも呼ばれ、日本ではラバーフェチと略すことが多い。ゴムラテックスの衣服の愛好者をラバリスト(rubberist)と呼ぶこともある。密着、光沢、匂い、呼吸の制限——ゴムは拘束具であり、第二の皮膚でもある。
ゴムという素材
ゴムには弾力性と伸縮性があり、空気や水分を通さない。その性質から加工ができ、天然ゴムまたは合成ゴムの薄い板(ラバーシート)を接着剤で貼り合わせ、衣服の形にできる。早くからゴムの雨合羽がヨーロッパで製品化されたことで、愛好者がゴムの衣服を作り始めた。空気も水も通さず、伸縮で肌に密着し、適度な拘束感と圧迫感を与える衣服が現れる。SMの拘束具やプレイウェアとして魅力的だった。人間の肌とは全く違う触感で全身が覆われ、薄いゴムで身体を包むと一定の感覚遮断と体温感覚の変容が起きる。「第二の皮膚」というフェティシズム特有の言い回しは、ラバーフェティシズムから生まれたとする説が根強い。事実、後述するイギリスの専門誌『SKIN TWO』は、この言葉から名づけられている。
呼吸、全覆い、光沢、匂い、脚線
呼吸制御にフェティシズムを感じる者、トータル・エンクロージャーと呼ばれるほど身体を完璧に包み覆うことを欲する者——この二つをまとめてヘビーラバーとも呼ぶ——、ゴムにシリコン剤を塗って出る無機質な光沢から、自らを無機物にしたい者にとって、ゴムの質感はうってつけだった。スーツ内に密閉された自身やパートナーの体臭、ゴム自体の独特な芳香に反応する者も多い。伸縮でボディラインが強調されるため、身体の曲線(脚線美も例外ではない)にフェティシズムを感じる者が、対象にゴムの服を着せて愉しむ方向も生まれた。
ゴムの衣服は、こうしたフェティシストにとって魅力の要素が多く、現在まで世界中に愛好者がいる。外見の特異性が強いため、一般向けの衣服でもゴム素材を使ったものが登場している。主に作られるのは、キャットスーツ、グローブ、ストッキング、ブーツ、ガスマスク、コルセット、ドレスなどである。ゴムをはじめ、フェティシズムの対象になる素材を使ったファッションをフェティッシュファッションと言い、従来のファッションとは異なる支持層を持つ。2000年代初頭には、身体に塗る液状ゴム(リキッド・ラテックス)も売られたが、大きくは普及しないまま現在に至る。
1990年代後半以降、著名な音楽アーティストやファッションデザイナーがラバーのコスチュームを何度も使い、あるいは発表した。音楽ではエルトン・ジョン、マドンナ、スパイス・ガールズ、ブリトニー・スピアーズ、リル・キム、レディー・ガガ。デザイナーではジャン=ポール・ゴルチエ、ジョン・ガリアーノなどが挙げられる。
雨合羽とガスマスク、ATOMAGE
源流は20世紀前半、主にイギリスを中心としたヨーロッパに散見される。当時のヨーロッパでは、雨天の雨合羽(マッキントッシュ)の素材がゴムであることが多く、ゴム製衣料の愛好者が結成した「ザ・マッキントッシュ・ソサエティ」がラバリストの源流とされる。初期のラバリストはゴム引きの雨合羽を着て小川を歩いたり、泥沼を転げ回ったりして愉しんでいた。密着性と芳香にフェティシズムを感じた人々により、性的興奮を目的として雨合羽を着る状態が生まれたとされる。第二次世界大戦で多用されたゴム製ガスマスクの使用経験を端緒とする愛好家も多かった。
メディアの形でラバーフェチの存在を初めて明確に示したのは、イギリスのイラストレーター、ジョン・ウィリーである。1946年にイギリスで刊行した雑誌『BIZARRE』は、ボンデージを主としたフェティシズムの著述、イラスト、写真を内容としていたが、この誌上でゴムの衣服に身を包んだ愛好家の存在が述べられている。世界初の専門誌は、1962年にイギリスのジョン・サトクリフが編んだ『ATOMAGE』(アトマージュ)だと見てほぼ間違いない。ATOMAGEはジャンルごとに3種類の雑誌として発行された。この動きで、イギリスを中心としたヨーロッパ圏にラバーフェティシズムのコミュニティが形成された、とする見方が多い。サトクリフ自身は、テレビドラマ『おしゃれ(秘)探偵』の衣装デザインを手がけ、没するまでヨーロッパのラバーフェティシズム・シーンの中心であり続けた。
SKIN TWOから、ポップの衣装へ
いまヨーロッパなどで見られるファッション的なアプローチの先鞭をつけたのは、イギリスの雑誌『SKIN TWO』である。1983年に設立され、1984年から刊行された。それまでのマニアックなラバーフェチの印象を、先鋭的なファッション・ムーブメントとして位置づけ、そのうえでSMやフェティシズムの性的なアプローチを融合させた紙面を組んだ。当時ニューウェーブに押され気味だったパンクの一部を巻き込み、アンダーグラウンド・シーンの一大勢力を築いた。現在、他のヨーロッパ諸国やアメリカ、日本で見られるラバーフェチの活動形態も、この誌の影響が大きい。これを契機に、性的興奮を目的とした愛好者とは別に、ファッショナブルな側面を求める層が生まれた。
2000年代中盤以降、レディー・ガガやケイティ・ペリーといったアーティストがラバーの衣服を着てメディアに現れ、ミュージック・ビデオでも多くのアーティストがラバーを使うなど、登場の機会が増えた。一般の認知は高まりつつある。その一方で、数多くのブランドやメーカーが廃業または買収され、環境は変わりつつある。
日本:カストリからAZZLO、KURAGEへ
日本では、戦後しばらく「生ゴム」(飴色のゴム)やゴム製雨合羽を題材にしたエロス小説が、当時のカストリ雑誌や実話系雑誌にまれに載る程度だった。1990年代前半に突如起きたボンデージブームを契機に、ラバーフェチの環境が整い始める。ブームを支えたのが、ショップAZZLOの山崎シンジ、山崎ユミである。東京都内に開いた店ではイギリス製を中心としたラバーの衣服が売られ、二人自身もSM中心の日本のポルノ雑誌に写真を発表した。1992年には写真集『BODY DISCIPLINE』(フールズメイト刊)を出し、ラバーフェチの存在をアピールした。東京都内で開いたイベント「DISCIPLINE GYM」には全国からあらゆるジャンルのフェティシストが集まり、急速にコミュニティが形成された。
ほぼ同時期の1990年代初頭からラバーウェアを売っていたのが福岡ラバリストである。当時としては珍しく、オーダーでのみラバーキャットスーツほか各種ウェアを製作・販売し、英国の『Rubberist』誌へ広告を載せ、日本での活動を寄稿するなど比較的活発だった。インターネットが爆発的に普及し始めた1990年代末から2000年代初頭にかけて、活動は徐々に沈静化する。
相前後する1998年、ラバーフェティシズムをテーマにした成人向けゲーム『好き好き大好き!』(13cm)が発売される。2001年には、イギリスで開かれているTORTURE GARDENの日本版としてTORTURE GARDEN JAPANが開催された。しかし2002年から2004年にかけ、AZZLOをはじめ新宿Z2、渋谷Lunatic Oneなどラバーウェアを扱っていたショップの閉店が相次ぎ、一時は国内で入手すら難しい状況へ落ちた。2005年2月、東京池袋に日本初となるラバーのオート・クチュールを専門に製作・販売するKURAGEが誕生し、環境は再び整い始めている。
店、雑誌、イベント
現在、ヨーロッパ、アメリカ、日本に専門店があり、ヨーロッパを中心に専門誌も出ている。とくに顕著なのはドイツで、専門誌『MARQUIS』を中心とした大規模な支持層があり、イギリスのSKIN TWO支持層とともに一大勢力を構成している。
ラバーフェティシズム向けのイベントも盛んで、とくにイギリスで毎年10月に開かれていたSKIN TWO RUBBER BALLは、3日間の日程で開かれる世界最大のラバーフェチ・イベントだった。現在は休止されている。その他の主要なイベントには、TORTURE GARDEN(イギリス)、Europerve(オランダ)、Montreal Fetish Weekend(カナダ)、FETISH FACTORY(アメリカ)、Latexpo(ドイツ)、German Fetish Ball(ドイツ)などがある。
刊行中の主要な専門誌は、SKIN TWO(イギリス)、SECRET(イギリス・SM寄り)、MARQUIS(ドイツ)、HEAVY RUBBER(ドイツ)、Von Gutenberg(アメリカ)、GUM(ドイツ)、BIZARRE(アメリカ)である。アメリカの『BIZARRE』は、ウィリーの同名誌とは全く別物で、アメリカで最大の発行部数を誇る。休刊・廃刊にはATOMAGE(イギリス)、RITUAL(イギリス)、Rubberist(イギリス)、およびドイツ・アメリカの『>』がある。雨合羽の小川歩きから、SKIN TWOのファッション、ガガの衣装、池袋のオート・クチュールまで、ゴムは第二の皮膚のまま媒体を移してきた。












