『毛皮のヴィーナス』(けがわのヴィーナス、原題: La Vénus à la fourrure)は2013年のフランス映画で、ロマン・ポランスキーが撮ったブラック・コメディである。ドイツ語圏の作家マゾッホの背徳小説『毛皮を着たヴィーナス』を舞台化しようとしている台本作家と、そのヒロイン、ワンダ役のオーディションに現れた謎の女性とのやり取りを、二人芝居の密室で描く。原作小説がマゾヒズムの語源になった契約と毛皮の物語である以上、映画もまた、役を読むうちに支配と服従が入れ替わるSM的な心理劇になる。
アイヴズの舞台からカンヌ、セザールへ
原作舞台《毛皮のヴィーナス》は、アメリカの劇作家デイヴィッド・アイヴズが2011年11月に発表して評判になったものだ。アイヴズはポランスキー監督の『吸血鬼』ミュージカル版「ダンス・オブ・ヴァンパイア」のブロードウェイ初演で英語脚色を担当しており、その繋がりがある。翌年のトニー賞では最優秀戯曲賞候補となり、ニーナ・アリアンダが主演女優賞を獲得した。ブロードウェイ・デビューとなったヒュー・ダンシーは、ドラマ・デスク賞の新人枠にあたる男優賞に選ばれている。この時点ではフランス初演はまだなく、2014年にジェレミー・リップマン演出、マリー・ジランとニコラ・ブリアンソン主演でトリスタン・ベルナール劇場で初演され評判となり、モリエール賞Molières 2015で作品賞と主演女優賞を獲った。映画は小説と舞台の両方を踏まえつつ、オーディション室という一つの空間に閉じている。
映画は2013年の第66回カンヌ国際映画祭で5月25日に特別上映され、11月にフランスで劇場公開された。2014年1月発表の第39回セザール賞では監督賞を受賞し、作品賞、主演女優賞、主演男優賞、脚色賞、音楽賞、録音賞にノミネートされた。マゾッホの毛皮と契約を、現代の劇場の力関係に移し替えた点が評価された。
オーディションが契約になるまで
レーオポルト・フォン・ザッハー=マゾッホの1870年の小説『毛皮を着たヴィーナス』を翻案した新作劇の台本作家トマ・ノヴァチェクは、主人公ワンダ役のオーディションの翌日、どの女優も期待に添わなかったため劇場を去る準備をしている。そこへワンダ・ジュルダンという無名の女優が、酔って遅れて到着する。エネルギーの旋風のなかで、ワンダは「ワンダ役の読み合わせをしましょう」とトマに提案する。トマが驚いたことには、彼女は役への深い理解を示し、すべてのセリフをそらんじていた。読み合わせが進むにつれ集中は倍加し、トマの好意は強迫観念になる。小説でゼヴェリーンがワンダを「教育」し契約に署名させた構図が、ここでは女優が作家を教育し、役の主従を逆転させる。毛皮を羽織ったヴィーナスは、舞台衣裳であると同時に、部屋の中で権力がどちらへ傾くかの合図でもある。
キャストと関連
ワンダ・ジュルダンをエマニュエル・セニエ、トマ・ノヴァチェクをマチュー・アマルリックが演じる。ほぼ二人だけの映画であり、セリフの応酬がそのまま鞭と契約の代用になる。セニエはポランスキーの妻でもあり、役のワンダが台本のワンダを飲み込み、作家を調教していく過程が、監督と女優の力関係の外側にも滲む。アマルリックのトマは、最初は選ぶ側の男として上から女優を見るが、読み合わせが進むほど言葉を奪われ、マゾッホのゼヴェリーンと同じ位置へ落ちる。関連映画として1969年の『毛皮のビーナス』がある。同じ原題の系譜でも、ポランスキー版は拷問や毛皮の見せ場より、オーディション室の言語的な主従を撮っている。
小説『毛皮を着たヴィーナス』では、犠牲者が拷問者を説得し契約に署名させる。映画ではその教育が、役をそらんでいた女優の側から始まる。酔って遅れた女が、実はいちばん役を理解している——その逆転が、毛皮を羽織る合図になる。トニー賞とモリエール賞を獲った舞台の評判を、カンヌ特別上映とセザール監督賞へ移した一本として、マゾッホ中編の隣に置いて見るのがいちばんわかりやすい。劇場の権力と寝室の契約が、同じ部屋で入れ替わる。













