『家畜人ヤプー』(かちくじんヤプー)は、1956年から『奇譚クラブ』に連載され、その後断続的に多誌へ発表された沼正三の長編SF・SM小説である。マゾヒズム、汚物愛好、人体改造を含むグロテスクな描写を抱えたまま、三島由紀夫、澁澤龍彦、寺山修司といった文学者が話題にし、右翼の出版妨害まで起こした。白人女性を神とし、旧日本人を「ヤプー」という知性ある家畜に落とす女権帝国——日本SM小説の極北として、いまも引用される。
『奇譚クラブ』から文学者と右翼へ
『奇譚クラブ』連載の時点で、当時の文学者・知識人のあいだで話題になっていた。きっかけは三島由紀夫が興味を示し、多くの人に紹介したことである。三島だけでなく澁澤龍彦、寺山修司らの評価もあり、文学界では知名度の高い作品になった。SM雑誌の連載が、文学の側から「読むべき倒錯」として持ち上げられた点が、後年の伝説の核になっている。
誌上での連載を終え、誌面の都合で載せられなかった部分などを作者が加筆したあと、都市出版社から単行本が出た。このとき右翼団体が出版妨害を行い、1名逮捕・2名指名手配という事件にまで発展した。白人女性アンナ・テラスを天照大神とする記述が抗議の対象になったといわれる。倒錯小説が皇室神話を裏返す書き方をしたことと、右翼の実力行使がぶつかったのである。
完結までの版と、沼正三という作者
『奇譚クラブ』1956年12月号から1958年4月号までの連載は打ち切りで、物語は完結しなかった。都市出版社版、角川文庫版、スコラ版、太田出版版、幻冬舎アウトロー文庫版と、補正加筆を重ねながら版が続き、完結に至る。そのため版によって内容に食い違いがある。都市出版(1970年)は全28章で連載版に加筆。角川文庫(1972年)も全28章でさらに修正。角川限定愛蔵版(1984年)は全31章で、『続家畜人ヤプー』として発表された増補を含む。ミリオン出版(1991年)は完結篇YAPOO, THE HUMAN CATTLE, 2と銘打ち、第29〜49章を収めた。装幀・画は奥村靫正。太田出版(1992年)が全49章を上・中・下(ポーリーンの巻、アンナ・テラスの巻、ドリスとクララの巻)でまとめ、幻冬舎アウトロー文庫はその内容を5巻に分冊した。辰巳出版『血と薔薇』4号(1969年6月)掲載の全文(一章〜十章)は、康芳夫監修『虚人と巨人』(2016年)巻末の康芳夫コレクションでも再現されている。
28章までとそれ以降(一説では21章以降)では文体や内容に差が多く、途中で執筆者が交代したとの説がある。Aパートを1〜20章、Bパートを21〜31章、Cパートを32章以降とし、それぞれ著者が違うという説、Aパート自体が複数人の手になるという説もあり、著者の正体と成立過程ははっきりしない。Cパートのみは作者が分かっており、現在公式に沼正三を名乗る天野哲夫の手による。太田出版版は全体を天野が再構成したことが知られており、読む際には注意が必要である。ペンネームの裏側に何人いたのか——『ヤプー』の作者問題は、作品世界の人体改造と同じくらい、読者を引きつけてきた。
麟一郎とクララ、三日で崩れる婚約
婚約中のカップル、日本人青年留学生の瀬部麟一郎とドイツ人女性クララは、ドイツの山中で、未来帝国EHS人ポーリーンが乗ったタイムマシンの墜落に巻き込まれ、未来帝国EHS(The Empire of Hundred Suns、イース=百太陽帝国、またの名を大英宇宙帝国)へといざなわれる。白人女性で元貴族のクララは、EHSの貴族たちに同胞として迎えられる。恋人を救うために渡航を承諾した彼女だったが、セッチンを使い、ソーマを飲み、小伶人の音楽や矮人決闘を愉しむうち、当初は否定していたヤプーの存在と、ヤプーと日本人が同一であることを認めざるを得なくなっていく。ジャンセン家の別荘に着くころには、麟一郎をヤプーとして拒み、恋心をウィリアムへ移していた。
「クララが捕獲したヤプー」とみなされた麟一郎は、家畜が受けるべき処置として身体改造を受け、クララには現代地球への帰還を拒まれて絶望し、無理心中を図って失敗する。恋人としての仲は完全に破綻したが、クララは「立場がどんなに違っても二人は離れない」と誓った言葉を忘れてはおらず、麟一郎はクララを救いの女神として心の支えにする。クララはポーリーンやアンナ・テラスに導かれ、EHSの貴婦人としてふさわしい教育を受け、ヤプーの扱いと主人としての心構えを学ぶ。麟一郎はヤプーとして、クララの従畜として徹底的に洗脳され、やがて自らその立場を受け入れる。地球を発ってからその間、わずか3日であった。
EHS:白人・黒奴・ヤプーの帝国
EHSは、白色人種(とくにアングロ・サクソン系のイギリス人)の「人間」を頂点とし、白人に隷属する黒色人種の半人間「黒奴」と、旧日本人の家畜「ヤプー」の三色で構成される、厳然たる差別の帝国である。日本人以外の黄色人種は核兵器と細菌兵器でほぼ絶滅している。ヤプーに対しては、抵抗するものを屈服させるのではなく、あらかじめ白人を神として崇拝させ「奉仕する喜び」を教えこみ、喜びのうちに服従させる。黒奴に対しては大規模な抵抗ができないよう支配機構が組まれ、ささいな過失でも死刑に処されるなど酷使されるため、寿命は30年ほど、白人の200年より短い。
EHSは「女権革命」以降、女が男を支配し、男女の役割が逆転した女権主義の帝国である。帝位は女系の女子が引き継ぎ、平民でも結婚すると男性が女性の家に入りその姓を名乗る。男性は私有財産を持つことすら禁止され、政治や軍事は女性のすることで、男性は化粧に何時間も費やし、学問や芸術に携わる。SEXでも騎乗位が正常位とされるほど女性上位が徹底している。
家畜である日本人「ヤプー」は、品種改良のための近親交配や肉体改造を受け、知性ある動物・家畜として飼育される。肉便器「セッチン」などの生体家具、畜人馬、食用、愛玩——用途は限りない。白人女性の出産も、受精卵の移植によって子宮畜(ヤプム)が代行する。さらに、日本民族がもともとEHS貴族アンナ・テラスにより、タイムマシンで日本列島に放たれた「ヤプー」の末裔であること、日本神話を家畜人ヤプー世界の物語として暴露し、古典をその解釈で読み替える。
主人公たちとジャンセン家
瀬部麟一郎は柔道五段の法学専攻学生。父親が国語教師のため和漢の古典にも詳しい。ドイツ留学中、クララに絡む与太者を柔道で退治したことがきっかけで恋仲になった。タイムマシン墜落のとき水浴中で、クララの悲鳴を聞いて裸で飛び出したため、人に似た裸の存在=ヤプーと刷り込まれていたポーリーンの猟犬ニューマ(ネアンデルタールハウンドというヤプー)に誤認され、毒の牙で全身麻痺する。治療の名目でEHSへ向かい、皮膚強化や完全去勢などの改造・調教を受け、クララの家畜に仕立てられる。ついにはクララの犬となる心境に達し、便器となる覚悟を持つ。地球での3年に相当するEHSの3日を経て、苦痛と葛藤の末に自ら「無条件降伏」する。元の体に戻り記憶を消して地球へ帰るより、ヤプーとして仕えることを望む境地に至る。語りきれない未来として、EHS内乱の星間戦争で柔道を活かした活躍や、意識転移装置でコトウィック夫妻に弄ばれることなどが明かされる。
クララ・フォン・コトヴィッツはドイツの元伯爵家の令嬢で、「大学の女王」と呼ばれる美貌と才気の持ち主。両親を第二次大戦の混乱で失い、姉レナーテとも生き別れて天涯孤独。麟一郎とは婚約中だが、結婚まで身を慎もうと誓い、肉体関係はなかった。ポーリーンの入れ知恵で、タイムマシンの故障により20世紀ドイツに漂着し記憶喪失となったEHS貴族の遭難者を装う。ポーリーンの親族から同胞として最上級の扱いを受け、その際に足の小指の爪を切除され、睡眠学習で家畜語を習得する。ソーマの影響も手伝い、次第に白人にしか同胞意識を感じなくなり、麟一郎の男らしさに惹かれていた心も変わる。第三次大戦後の歴史を知り、ついには麟一郎をヤプーと認め、「リン」と呼び犬のように連れまわすことに疑いを持たなくなる。ウィリアムと恋仲になり婚約。姓名を英語(EHS公用語)風に「クララ・コトウィック」と改め、ジャンセン家とアンナ・テラスのバックアップで社交界にデビューする。未来では女王に謁見して帰化を許されコトウィック伯爵となり、内戦を立ち回って枢密院顧問・帝国宰相になる。彼女の尿は王室に献上され、黒奴酒の銘酒「コトブキ」となる。余談として、女王から与えられた特別休暇で古代日本を訪れ、その逸話が「竹取物語」になる——つまり彼女がかぐや姫だ——と記される。
ポーリーン・ジャンセンは、EHSから1960年代ドイツへ来た美女。ミス・ユニバースの履歴を持ち、大貴族ジャンセン侯爵家の嗣女で、首都星カルーを含むシリウス圏の検事長。クララに命を救われた返礼として完成したばかりの別荘へ招待し、墜落地点が20世紀ドイツであること、クララがEHS人でないことに気づいて驚愕するが、礼儀として未来人の正体を明かす。航時法違反の隠滅と、クララの麟一郎への思いを見かねた治療のため、麻痺治療を名目に二人をEHSへ導く。保護役としてクララを食客に遇し援助する。のちに貴族院最高法院の裁判長となり「第二のエンマ・ダイオン」と呼ばれる。妹ドリスはスポーツ万能のボーイッシュな美少女で、クララと意気投合する。実父は平民の男妾で婚外子のため、姉のように政治で活躍できずスポーツに情熱を注ぐ。アベルデーンのポロ・クラブ主将、のち星間オリンピック金メダル、準男爵。麟一郎の戦闘力に着目し、クララとの取引で去勢後の精巣を入手、彼の妹を現代日本から誘拐して交配する計画を立てる。兄セシル・ドレイパアは妻メアリの忠実な主夫で、女にしても見たいような美男。家畜文化史の専門家として、ヤプーとイースの風習を長口舌で解説する。麟一郎が去勢されるはめになった元凶でもある。ウィリアム・ドレイパアはセシルの妻の弟で、男なのにレースに参加するEHSでは異端の「おてんば」青年。ソーマ好き。いち早くクララの正体に気づき、20世紀人の淑やかさに惹かれて告白する。案内役として黒奴やヤプーの扱いを手ほどきし、のちクララと結婚してウィリアム・コトウィックとなる。麟一郎は、ウィリアムがプキー用の衣装に着替えたとき、彼が建御雷神なのだと感じ取る。母アデライン・ジャンセンは侯爵、帝国副宰相、政界文治開明派(ホイッグ)のリーダー。夫ロバートはセミプロの絵描きで、ポーリーンの地球外出中は貞操帯を付けられている。メアリは帝国中央軍騎兵科少佐で、中央軍司令官ジャーゲン公爵の参謀。
アンナ・テラス、天狗、ヤプーたち
アンナ・テラス(オヒルマン公爵)は前地球都督で、EHS一の美女。天照大神の正体という設定(西王母やイシュタルでもある)。寿命200歳の世界で「老貴婦人」と呼ばれる年齢ながら30代の若さを保ち、天空島タカマラハンに住む。妹スーザンは古代日本で行方不明。邪蛮から子宮畜を供給する「フジヤマ飼育所」は彼女の管理下にある。和魂と荒魂を併せ持つカリスマで、クララがEHSに入りたての旧時代人で、供のヤプー(麟一郎)とも普通の関係ではないと即座に見抜く。クララに、司馬遷の去勢したペニスから作った「珍棒」(チンボー、仮男根)を贈り、それを装着して麟一郎の肛門を犯すようアドバイスする。ヤプー宗教の根幹「慈畜主義」を提唱し、正教「白神信仰」の創始者。ヤプーに奉仕対象部位のみを信仰させる「みほとけ信仰」の創始者、現地球都督ジャーゲン卿と対立する。
スーザンは姉の著作によりEHSでは「スザノ」の名で知られる。ヤプー管理をめぐって姉に勝負を挑んで敗れ、古代日本へ傷心旅行に出る。現地ヤプー族にあがめられ、日本諸島を荒らすオロチョン族の八武将を討ち、満州の本拠で酋長モロク・モンを討ち取る。そのペニスで鞭を作り姉に献上するようヤプーに託した直後、行方不明になる。ジャーゲン卿(セオドラ・ジャーニンガム公爵)は現地球都督、帝国中央軍司令官、軍治保守派(トーリー)のリーダー。威風堂々とした「雌々しい」(旧世界の「雄々しい」)女性で、カイゼル髭がチャームポイント。道教の上元夫人でもある。のちにクララの入国の秘密を嗅ぎ付け、EHS内乱が勃発する。
プリンス・オットーは乙姫として知られる皇子で、女装をして旧時代の女性のように男性に荒々しく犯されたい同性愛の性癖を持つ。領星の水中に竜宮城を建て、亀形ボートで平民男性を拉致していた。拉致された一人がウラジミール(浦島太郎)で、手切れの際に渡した若返り用「時間煙草」の使い方を間違え老人になり、暴露して帝国を揺るがすスキャンダルとなる。オットーは激怒した母王に王室から追放される。セバスティアン・ヒックは通称サルド・ヒック。才能ある絵描きだったが、アンナと知人の「白人男性を肉体の魅力だけで誘惑しテング化できるか」という賭けに巻き込まれ、白紙身売状をアンナに差し出してしまう。アンナは容赦なく利用し、赤Y字病院に強制収容、顔面にヒック自身の陰茎を移植した専用性玩具「テング」に仕立てた。のち唇人形兼秘書ヤプーのウズメを与えられ古代日本へ派遣され、フジヤマ飼育所の所長になる。天狗の面をつけ、従う黒奴にも烏天狗の面をつけさせる。
ヤプー側では、邪蛮出身の子宮畜カヨがフジヤマ飼育所で選抜されポーリーンに買われ、次女を移植されて「名誉白人」待遇を得る。6倍体ヤプーのアマディオはタイタン星出身で、かつては白人の存在を否定していたが、ドリスの乗馬として乗りこなされたのち主人として敬愛する。親友チカラはジャンセン家の闘牛畜「ベンケ」として買われ、クララの社交界デビューの余興で闘畜士カルメンに敗れ、クララの希望で救命されて彼女の乗馬畜になる。後の内戦で麟一郎とともにクララを守り、「ベンケの立ち往生」を遂げる。唇人形キミコは奇形化手術を受けず原ヤプーの姿のまま、ウィリアムのファンの平民から贈られる。知能は旧世界日本の女子大教授に匹敵したが、歯をすべて抜かれ総入れ歯になり、関心の対象はウィリアムのペニスだけになる。チクヒトは初代「ミカド・セッチン」として知られるヤプー首長家の血統で、女王・皇太嬢専用。死後、奉仕した女王の肛門をイメージさせる王宮の菊花畑に葬られ、首長家は菊をシンボルにする。
女権、食、便所のない世界
EHSは女系の女王による君主制で、政治と軍事の大権は女性のみが持つ。子宮畜の普及で人間の女性が出産から解放され、女権革命が起きた。女権が確立しているのは人間に限られ、黒奴社会では男性優位が続く。ヤプーは家畜なので社会はないが、使役は通常雄、雌は出産による増産に専念させられる。財産権も女性のみ。戸主は母親。妻が夫に優越する。男子の童貞性は重視され、女子の性的放縦は当然で、貴族女性は何人ものめかけを持つ。平民男子の憧れは貴族女性のめかけとなり後宮に入ることだ。
首都はシリウス圏・首都星カルーのアベルデーン。旧首都はアルファ・ケンタウリ圏テラ・ノヴァのトライゴンで、いまは皇太嬢領。「百太陽帝国」の名の通り百以上の太陽系を支配し、人間が住む「白い星」、家畜を黒奴とヤプーが育てる「黒い星」、ヤプー養殖の「黄色い星」に分かれる。地球は辺境だが貴族の別荘地でもあり、旧日本列島にはヤプー国家「邪蛮」があり、原ヤプーの供給場・文化研究の実験台・猿山・貴族の狩場として使われる。人間は全員白人で、貴族はほとんど金髪碧眼の北欧系。ヤプー使役、とくに読心家具(テレパス)やペガサス乗馬にはOQ(命令波指数)が要り、OQが身分を裏付ける。黒人は半人間として限定的人権。黄色人種は正規の人間だったが第三次大戦で絶滅し、偽黄色人種だった日本人の末裔だけが家畜ヤプーとして残る。学説で「日本人=ヤプー=類人猿」が固められ、旧時代に人間を僭称していただけだと考えられる。もう一種の家畜人としてテラ・ノヴァ原住民のペガサスがおり、敗北後は乗馬とその皮革に用いられる。
黒奴は一日の出来事を「日記報告」として提出する義務があり、虚言は私刑公売(オークション・フォー・リンチ)——人権を剥奪しヤプー並みに落として公売し、落札した人間が好きな方法で虐殺してよい制度——に処される。有魂計算機(ヤプーを組み込んだコンピューター)が全世界レベルで照合するため、嘘は発覚する。国政は貴族院と庶民院の二院制。平民に参政権はないが、貴族を対象とした人気投票の投票権はある。税制は身分が下ほど負担が重く、貴族は免税。「支配して頂く」ことへの「謝金」を払うべきだという考えが普及しているためである。司法は人間のあいだではコモンローと衡平法を統合した帝国法の建前。黒奴と白人の争いでは白人の証言のみが採用され、債務不履行は原則死刑。「疑わしきは罰する」。貴族所有の奴隷の刑事裁判は、食後の余興「デザート裁判」として行われ、弁護士役と検事役がトランプや麻雀、ボウリングで勝敗を争い、ボウリングのピンには死刑判決を受けた黒奴が縮小・複製されて入っている。黒奴同士の民事は「学級裁判」——小学校から大学の放課後に児童・生徒が裁判官・弁護士・検察官を演じ、第一審は小学校、控訴は中学、上告は大学。裁判官役の級長格女子は名裁判官「エンマ・ダイオン」にちなんでエンマと呼ばれる。誤判も多いが、人間の子弟への教育効果を優先し、理不尽は黒奴が甘受すべきとされる。
人間の食事は天然素材で、品種改良された果物が長寿の一因。肉は黒い星の牛豚のほか、ヤプーの食用品種「食用畜(クレアプ)」がある。家畜なので人肉食のタブーに触れない。食用畜には「食べられて神様(白人)の一部となる栄誉」が教育され、喜んで供される。調理にはショーユが使われ、旧世界日本へ「ケッコーマン」「ヤンマース」のアンドロイドが送り込まれている。宴席では満腹まで美食したあと反吐盆(ヤプー)に嘔吐して胃を空にし、吐瀉物は「ヘード」として黒奴の食用に払い下げられる。黒奴の食事は栄養管の人工食糧。飲料水は人間の下水を殺菌しただけのもの。地下街の黒奴酒酒場では人間の小便が酒になり(人工食糧に尿素からアルコールを醸造する酵素が混ざる)、メインディッシュは人間が着た下着や靴、ソースはヘードである。
EHSは「便所の無い世界」とされる。人間の糞尿はすべてヤプーの肉便器「セッチン」に飲ませ食べさせる。ソーマの影響で代謝が活発で、一日に大便三回、小便十二回ほど出すが、セッチンを使えば臭いが漏れない。人前での排便は「鼻をかむ」程度の軽い無作法である。セッチンが飲み食いした糞便は管で回収され、人間の糞は赤Y字社で錠剤・注射剤に加工されてヤプー用万能薬「ミクソ」になり、尿は黒奴酒(ネグタル)になる。貴族の尿は樽詰めの銘柄酒、平民の尿は瓶詰めの無銘柄。ヤプーの宗教的「洗礼」にも人間の尿が聖水として使われる。尿瓶が黒奴にはジョッキ、ヤプーには聖水瓶になる。黒奴の糞尿は先端器(コブラ)付き真空便管で吸い取られ、あらゆる有機不要物は粉砕されて畜乳(ヤップミルク)または黄液(エロージュース)となり、ヤプーの栄養源になる。特殊用途や畜体循環装置を付けられたヤプーを除き、ヤプーはペガサスと共生するエンジン虫(アスカリス・ペガススを改良した種)を寄生させられ、宿主は排泄を必要としない。SM小説としてここまで糞尿と人体改造を社会制度に組み込んだ例は、前後を探しても少ない。
漫画、朗読、舞台、映画にならなかった話
漫画は石森章太郎監修・シュガー佐藤作画の劇画が、都市出版社(1971年)から始まり、辰巳出版を経てポット出版で復刻された。「悪夢の日本史」「快楽の超SM文明」「無条件降伏」などの編に分かれ、2014年には石ノ森章太郎ら名義の電子書籍全4巻も出た。江川達也版は幻冬舎から2003〜2007年に第1部1〜9巻まで出たが途中打ち切り。原作より描写は丁寧だが、ヤプーが去勢されているという設定を変えるなど改変もある。2016年からリイド社『COMICクリベロン』で三条友美『家畜人ヤプーREBOOT』が連載。麟一郎とクララの時代を2016年に移し、造形や性格を変え、グロテスクとスカトロを原作より強調している。
2012〜2016年、ニコニコ動画でライトノベル版と銘打ち「家畜人ヤプー Yapoo, the Human Cattle, Again」が、伊藤ヒロ著・氏賀Y太挿絵で配信された(制作は満月テレコ社)。主人公設定などに差異がある。鳥肌実によるニコ生朗読会も行われた。原稿は2017年、加筆再編集され鉄人社『家畜人ヤプーAgain』(伊藤ヒロ+満月照子、イラストぎうにう、帯文は康芳夫)として書籍化された。1970年、康芳夫の全面支援で日本初の高級SMクラブ「家畜人ヤプーの館」がオープンした記録は、登口安吾『家畜人ヤプーの館』(辰巳出版電子版、2018年)に残る。
舞台は月蝕歌劇団(演出・高取英、音楽・J・A・シーザー)が2000年5月、2005年1月、2010年9月1〜6日(ザムザ阿佐ヶ谷、「沼正三/家畜人ヤプー」、クララ役はしのはら実加)と三度上演した。映画化は何度も頓挫している。中島貞夫は1969年『にっぽん’69 セックス猟奇地帯』の過程で本作に魅せられ、康芳夫から原作権を200万円で取得、東映の岡田茂に持ち込んで当初はOKを得たが、脚本完成後に右翼攻撃を恐れ「あかん」と言われ東映では作れなくなった。自主製作や虫プロ+イタリア資本も頓挫し、代わりに1971年『セックスドキュメント 性倒錯の世界』が作られた。のち康芳夫のもと、長谷川和彦の監督第3作として準備が進んだが、2009年12月12日、新文芸坐のトークで長谷川は「三、四年前に企画は頓挫した」と述べている。小説としては読み継がれ、劇画と舞台にはなったが、映像の帝国はついに建たなかった。読むなら太田出版/幻冬舎の全49章を底本にしつつ、初期28章と天野再構成の差を頭に置いておくのが安全である。巻ごとのISBN細目や劇画各巻の書誌はここでは省く。












