ポニープレイは、ヒューマン・アニマル・ロールプレイのなかでも、相手を馬として扱うBDSMである。暴力で性行為を押しつける話ではなく、支配する側とされる側が、加虐と被虐をどこまで増幅できるかが勝負になる。調教師あるいは御者が人間を家畜の馬に落とす。女ならポニーガール、男ならポニーボーイ、種馬の意味でスタッドとも呼ぶ。いちばん重いのは、相手をどれだけ馬として振る舞わせられるかだ。馬の美点は従順さと、人間のために使役される家畜であることなので、馬役はその再現を優先する。喋らず、手綱に従い、歩様を正し、荷を引く。人間の会話と二足歩行を捨てたところで、プレイは成立する。
同意している馬と、じゃじゃ馬の調教
馬役が同意している前提では、従順な使役馬として過酷な労働を課す。人間なのに馬具につながれ、馬車を引かされる姿を衆目にさらすこと自体が、心理的な屈辱になる。半裸で重い荷馬車を引かせる、延々と歩行訓練をさせる、ギャロップやキャンターなどの歩様を教え込む、乗馬として他人を安全に乗せる——どれも「馬としての労働」を身体に叩き込む型だ。ショーポニーとして飾り立てて歩かせたり、繁殖行為まで課したりする発展もある。調教が通ったあとの使い道は、荷役か、観賞か、繁殖か。同意した馬役ほど、その労働の長さと公開性が羞恥になる。
同意していない前提——演技としての抵抗——では、じゃじゃ馬として扱い、馬であることを徹底して自覚させる。馬役はまだ人間であるという建前で調教に逆らう。鞭と手綱で動きを制御し、ハーネスで締め上げて自由を奪い、厳しい調教を続ける。十分に折れたら、従順な使役馬へ切り替える。多くのアニマル・ロールプレイでは、動物へ貶めるために性交渉を限定するが、ポニープレイでは馬役同士を組ませて、さらに被虐を重ねることがある。家畜として荷を運ばせるか、観賞用に装飾して歩かせるか、繁殖まで踏み込むか。調教が通ったあとの使い道が、プレイの続きになる。抵抗する演技と、折れたあとの使役。どちらも「人間を馬にする」同じ作業の、入口が違うだけだ。
直接乗る乗馬と、馬車を引かせる型
乗馬プレイは二系統ある。直接乗馬式は、馬役の背に人が乗る。体格の関係で、ポニーボーイと女性支配者の組み合わせが向きやすい。四つん這いにして乗るのが普通だが、立ったままおんぶする型、肩車する型もある。走るには向かない。女性に乗ること自体が、SMとしての荷重と苦痛にもなる。四つん這いの背は鞍の代用であり、おんぶと肩車は立ったままの馬体である。どれも速くは走れないが、乗る側の体重がそのまま調教になる。
馬車式は、馬役に車を引かせる。古代ギリシャの戦車に似た二輪が多い。家庭ではリヤカーや四輪カートでも代用する。速度は出せるが、馬車と御者の重量が乗るので、馬役は複数のほうが楽しく、かつきつい。一頭で重い車を引かせる羞恥と、複数頭を並べて走らせる見世物は、同じ「引く」でも熱の置き場が違う。手綱は御者の手にあり、馬役の視線は前方の地面に落ちる。車が動き出した瞬間、人間の歩行は馬の労働に切り替わる。
フィクションと、ウィリーのハイステップ
映画などでは、厩舎で寝泊まりさせ、乾燥飼料やクズ野菜を餌として与える——完全に家畜として扱う主題が出る。多数のポニーガールを集めて競馬やパレードをやる発想も使われてきた。現実のプレイが歩行と馬車と乗馬に収まりやすいのに対し、映像は飼育の日常まで馬にする。寝床も餌も、人間の食卓から外す。フィクションのポニープレイは、調教の時間だけでなく、馬として過ごす時間を描く。
1930年代、アメリカのBDSM誌『Bizarre』を主宰したジョン・ウィリーはポニープレイを好み、写真・イラスト・小説で繰り返した。小説『From Girl to Pony』では、主人公が調教するイヴリンに、「太ももを地面と水平かそれ以上に上げる」歩様を課す。作中ではハイステップ・トロットと呼ばれ、見た目は美しいがほとんど進まない。日本でいうもも上げに近い。ウィリーに影響された愛好家は、このハイステップをポニープレイの主題にすることが多い。進まない美しさと、進まされる使役。馬としての歩様そのものが、ここでは性的な拘束になっている。ショーポニーの観賞と、使役馬の労働と、ほとんど進まないハイステップ。ポニープレイが馬に求めるのは、速さより、馬に見えることだ。













