木馬責め(もくばぜめ)は、戦国時代・江戸時代などに使われた拷問の一種である。尖った背の木馬に跨がらせ、体重で股間を圧迫する。いまでは女性への羞恥と性的責めとして、SMプレイにも使われる。三角木馬と呼ばれる形がよく知られる。盗賊、年貢滞納者、隠れキリシタンが対象になった歴史と、マゾが股間の稜線を喰らうプレイは、同じ器具の別の読みである。
三角木馬という形
木馬型で背の尖った拷問具に、被拷問者を全裸または下半身裸にして跨がらせ、身体を拘束する。本人の体重で股間に苦痛を与え、石などの重りを足に括り付けて加重することもある。落ちないよう、天井の梁や鈎から垂らした縄や鎖に、体を縛った縄尻を結んで固定する場合が多い。台を揺する、足や重しを引っ張る、鞭や杖で打つ、といった加重もあった。
女性に用いられる場合が多いが、鞭打や石責めに耐えられないと思われる少年への代替手段としても使われた例がある。股間は柔らかい部分で女性器や肛門があるため、長時間だと損傷し、出血し裂けることもあった。SMの現場でこの名が出るのは、形がそのまま股間への圧迫だからだ。笞打のように途中で止めにくい、という性質が、責めの核になっている。
SMでの木馬
SMプレイでは、女性を全裸にし、両手を後ろ手に縛って木馬に跨がらせたあと、頭髪を天井から垂らした縄で結んで責める、という組み方もある。バリエーションは多いが、股間を圧迫し、木馬の背の稜線を喰い込ませる点は共通する。激しい苦痛と恥ずかしさが重なり、他に類を見ない苛烈な責めとされる。
被虐者の反応を見ながら断続できる笞打と違い、一度載せると降ろさない限り苦痛は中断しない。快楽になるかどうかは、その異常な状況に対する心情で大きく分かれる。嗜虐趣味がなければ単なる過酷な拷問であり、嗜虐が横溢していれば扇情的な道具に見える。したがってSMでこれを使うのは、被虐者の側に余程の趣味がある場合に限ると見られている。日本のSMで三角木馬が記号になるのは、この「止められない股間」の性質による。
馬具台から私刑へ
武家の家には、馬具を載せておく木製の台があった。鞍を載せるので馬の胴の恰好をしており、木材を組み合わせて作ってある。その背に人を跨がらせて股間に苦痛を与え、折檻や尋問に使った。戦国時代の頃から拷問の一種として使われていたのは確実だが、背をわざわざ尖らせたものばかりではない。角材を組み合わせた粗い造りの結果として、尖った部分が背になったとも考えられる。三角形の背だけでなく、5ミリから5センチ程度の幅のある背や、丸みをつけた背もあったと考えられる。木馬で責苦を与えると同時に、身体を打ちやすいよう固定する目的もあった。両腕を緊縛したうえ木馬に載せると、身体をほとんど動かせなくなる。
江戸時代の公事方御定書では、笞打ち、石抱き、海老責、吊り責めが公認の拷問だった。木馬責はそこに入っておらず、私刑や諸藩における拷問などに用いられたと考えられる。公認四種の外にあった責めが、いまSMの器具として名を残している。歴史の拷問とプレイの木馬を同じ物として扱うのは雑だが、股間の稜線という核はつながっている。戦国の馬具台、江戸の私刑、三角に尖らせた背、石の加重、天井からの固定——いずれも、跨がせた体重で柔らかい部分を潰すための装置である。
SMの木馬責めが「余程の趣味」に限られるとされるのは、笞打のように途中で緩めることができないからである。降ろすまで苦痛は続く。全裸、後ろ手、髪を天井へ結ぶ、という組み方は、その途切れない圧迫を見せるための型だ。公事方御定書の公認は笞打ち、石抱き、海老責、吊り責めの四種で、木馬は私刑と諸藩の側に残った。三角木馬は拷問の名残であり、同時に、日本のSMが股間と羞恥を重ねるときの記号でもある。











