『愛の新世界』(あいのしんせかい)は1994年12月17日公開の日本映画である。R-18指定。監督は高橋伴明。原作は島本慶のエッセイと荒木経惟の写真を融合させた同名の写真集。主演は本作のためにオーディションで選ばれた鈴木砂羽。第68回キネマ旬報ベスト・テン日本映画ベストテン第9位。SMクラブの女王様として働きながら劇団女優を目指す若い女と、ホテトルで働きながら玉の輿を夢見る現代娘を並べた、意外なほど爽やかな青春映画として語られる。日本映画初のヘアヌードも話題になった。2010年10月30日には第8回新開地映画祭で上映され、2011年5月27日にはモザイク処理のない「無修正完全版」DVDが出ている。
女王レイとホテトルのアユミ
レイは渋谷でバイトをしながら小劇団で活動する若手女優で、そのバイトがSMクラブの女王様である。訪れる男性客を罵り、ムチで叩き、ひざまずかせる。ただしそれはバイト中の一つの顔で、普段は芝居の稽古に夢中だ。ある日、マンション内のクラブからエレベーターで降りようとしたところ、途中の階から乗り合わせたホテトル嬢アユミに話しかけられ、知り合う。アユミは「医者の卵」の彼氏と交際し、稼いだ金を結婚資金として貯め、玉の輿を夢見ている。レイは付き合って3ヶ月の彼氏と食事には行くが、愛情は薄れている。居酒屋で恋愛と仕事を話し、店を巡って朝まで遊び、友情を深める。レイは留守電を無視し続けて破局し、アユミも自堕落な予備校生の彼氏に見切りをつける。
東京郊外のアパートの庭は、毎日渋谷で動くレイの気分をリセットする空間だ。実家の母への手紙では、女王の仕事を「セラピスト関係のバイト」と誤魔化しつつ、仕事に誇りを持っていると書く。公演の台本が上がると、劇団員はバイトをしながらセリフ覚えと立ち稽古に追われる。物珍しさだけでクラブに来た初客から、推測のSM知識を聞かされた挙句、「新しい愛の世界を見せてくれ」と上から言われたレイは、プライドに火がつき、SMがどういうものかを身をもって知らしめ、別人のように大人しくなった男を服従させる。アユミは「弁護士の卵」の新しい彼氏と付き合い始め、レイは母へ、子供の頃にバレエを勧めてくれたことへの感謝の手紙を送る。公演当日、客席のアユミが見守るなか、レイは数週間かけて仲間と作り上げた芝居を披露する。
鈴木砂羽のレイ、片岡礼子のアユミ
佐久間レイコ、通称レイを鈴木砂羽が演じ、第10回高崎映画祭最優秀新人女優賞を獲った。小劇団のマドンナ的存在で、夜は女王のバイト。東京郊外のアパートで一人暮らし。サバサバしているがこだわりが強く、自分の中の決まりに則って動く。SM嬢の仕事に誇りを持ち、芝居の稽古に役立っていると言う。熱心で真面目な反面、性に奔放で男性劇団員とは安易に体の関係になり、恋愛は飽きっぽく長続きしない。自然や動植物が好きで、庭で元気をもらう。劇中劇ではヒロイン役。
アユミは片岡礼子。ホテトル嬢だが、「首から上へのキスはしない」などの個人ルールを客に科す。「明日にでも結婚したい」ほど結婚願望が強く、医者の卵や弁護士の卵を狙うが、男を見る目はない。さっぱりして失恋を引きずらず、要領の悪い彼氏には気遣いを見せる。仕事のことは秘密で、貯めた結婚資金1000万円は表向き「父親から振り込まれた」ことにしている。ホテトル側のエピソード——同僚同士の取っ組み合い、寿退社、ナイフの男、説教する中年客——は、レイのクラブ側の主線に対する対照として置かれている。
劇団『ドリームキッズ』とクラブの人々
松木は松尾スズキ。劇団『ドリームキッズ』の演出家で、レイと同年代ぐらいの若者8人をまとめ、エチュードで指導する。公演作『君の事情を抱きしめて』の演出も担当する。さくらは中島陽子。ふくよかな体型の劇団女優で、ほどなくアユミのホテトルの電話番を始める。劇団で鍛えたセリフ覚えとカワイイ声色で、テキパキした電話対応を見せる。似た体型のてつやが恋人。男性劇団員は、ひでお(宮藤官九郎)、おさむ(阿部サダヲ)、よしかつ(和田緑郎)、てつや(藤田秀世)、きよし(役者名不明)。バイト生活を送り、『外郎売』で滑舌を鍛え、喜怒哀楽の練習に明け暮れる。全員でプールや飲みに行く。彼女持ちのてつや以外の男性は持ち回りでレイと体の関係を持っており、さくらも知っている。
冴子は杉本彩(愛情出演)。会員制SMクラブ『ソワレ』の経営者で、レイたち数人のSM嬢を雇い、受付をしつつ依頼があればS役もこなす。長く伸ばしたロングヘアにぱっつん前髪、魅惑的な雰囲気。入会希望の客に価格とシステムを説明し、レイの素質を評価して「2号店出すからママやってよ」と言う。ミキはS役もM役もできるというSM嬢だが、作中のプレイはM役のみ。全身ラップや浣腸を受ける。ほわっとした雰囲気でのんびり話す。冒頭の客は、レイのムチと顔踏みで快感を得、靴を舌で綺麗にしたあとご褒美をもらう。女装する客は下元史朗。ホテルへ出張を頼み、出迎えでは三つ指をつく丁寧なスーツ姿だが、プレイ時は女装してオネェ言葉になる。澤登は萩原流行。ヤクザで組員からは恐れられるが、冴子からは「さわちゃん」と呼ばれ、根本的にレイの大ファン。受付では常に敬語で、一見ヤクザとは分からない。強い苦痛でないと満足できず、作中では比較的ハードなプレイを受け、下着はふんどし。よく喋る男は、普通の性行為に飽きて安易にSMを体験しに来る客。下着姿になるはずがスーツのままタバコを吸い、同等の立場で話し、想像でSMを見下す。メガネの男は大杉漣。冴子の客で、直径2メートルほどの円形の板に貼り付けられ、板ごと回されながらムチを打たれ、同時に会社の社長を罵倒してストレスを発散する。プレイ時は下着に靴下。
ホテトル側と二人の彼氏
アユミの店長は塩屋俊。本来は冗談を言う明るい人柄だが、嬢同士が取っ組み合いになっても「ケガするなよ」と一言言うだけで仲裁しない。セイラは市井由理。同僚が自分の客にちょっかいを出したという理由で取っ組み合い、のちに寿退社して祝福される。中年の男は渡辺哲。アユミの心の声では「オッサン」と呼ばれ、未成年ではないかと疑い「自分を大切にしなきゃ、親が悲しむよ」と説教したうえで行為に及び、コース外も頼む。ナイフの男は田口トモロヲ。持っていたナイフでアユミを怖がらせ、二つのソファのあいだに全裸の女性を立たせ、下で仰向けになって股間を眺め、アンダーヘアを脱毛クリームで処理するのが好き。
レイの彼氏は3ヶ月目。プレゼントや留守電で愛情をアピールするが、キスはあっても体の関係は彼女から理由をつけて拒否されている。けんちゃんは松永博史。医大を目指す3浪の予備校生で、アユミからは医者の卵と呼ばれる。実家は大きな病院を経営する裕福な家で、上京後も広い部屋。趣味はクロスワードとアユミとの性行為。危機感がなく自堕落。徹は武田真治。別れたあとの彼氏で、弁護士を目指す司法浪人、本業は深夜ラジオのAD。趣味はジグソーパズル。けんちゃんと似て集中力に欠け、要領が悪く不真面目。
荒木経惟、主題歌、クラブの料金
記者は松尾貴史。冒頭の喫茶店でレイにSM嬢になったきっかけを聞く。写真家は荒木経惟本人。女王に扮したレイがムチを打ち、艶めかしいポーズを取るところを、雰囲気を盛り上げる声をかけながら撮る。ホストは袴田吉彦(愛情出演)。ジローは哀川翔(愛情出演)で、ホテトル店長の知人らしいヤクザ。サングラスのレンズを歯で噛み砕いて威嚇する。医者は鈴木ヒロミツ。性病を疑ったレイが診察に来るが、治療は受けず薬だけもらって帰ろうとし、対応に困る。その他に竹内修、城野みさ、小野祥子、松田賢二。監督は高橋伴明、写真は荒木経惟、劇中劇の作・演出は松尾スズキ、原作は島本慶と荒木経惟、脚本は剣山象、音楽は山崎ハコとかしぶち哲郎。撮影・栢野直樹、美術・望月正照、録音・福田伸、照明・豊見山明長、編集・菊池純一、助監督・早川喜貴、刺青・栩野幸知、特殊メイク・松井祐一。プロデューサーは見留多佳城と山田滋敏、製作は元村武と大谷晴通。
主題歌は山崎ハコ「私が生まれた日」。挿入曲「今夜は踊ろう」は、レイとアユミが男たちの車でドライブしたあと、夜明けの街を走って渋谷へ戻るシーンに使われる。ニューハーフバーではピンク・レディー「渚のシンドバッド」(1977)をカラオケで歌い、劇団の打ち上げでは敏いとうとハッピー&ブルー「星降る街角」(1972)をみんなの前で歌う。
作中のSMクラブは会員制で、客は男性限定らしく女性客は出ない。店内プレイのほか、自宅やホテルへの出張もある。料金はSコース70分3万5000円、Mコース70分2万5000円、出張80分5万5000円。所属するSM嬢は、苦痛を与えるクイーン(女王、S役)か、苦痛や辱めを受けるM嬢になり、両方こなす者もいる。客が苦痛を受けるコースを選ぶと、普段の肩書きに関係なく女王から奴隷のように扱われる。合意のうえで苦痛を受ける/与えるのが約束で、街なかで遭遇しても他人のフリをするのがマナーだ。冴子によれば、主導権を握りストーリーを考えるS役に比べ、M役の方が気楽だという。レイはSMを、悩みやストレスを抱える客の心を開放するセラピストのようなものだと言う。母への手紙で仕事をセラピストと書いたのは、嘘であると同時に、本人の職業意識そのものでもある。レイには「レイ・スペシャル」があり、手足に拘束具、口に猿ぐつわ、目に目隠しをした客を、照明を落とした薄暗い部屋に長時間ほったらかしにする——いわゆる放置プレイである。
ホテトル側は事務所は一つだが『クラブ・ゆめのあな』『キャットコール』など複数の名称で営業し、電話番が一人で嬢を充てがう。部屋に着いたら事務所へ電話し、客は前払いする。アユミの場合は2万5000円。クラブのSコースより安く、時間も短い。アユミが首から上のキスを拒み、結婚資金1000万円を父親名義のように見せるのは、ホテトルを手段と割り切っているからだ。けんちゃんも徹も「卵」で、パズルをしてだらだらする同型の男であり、玉の輿の側は何度取り替えても像が変わらない。レイの側は、劇団員との安易な性交と、客を奴隷にするバイトと、芝居のヒロイン役が同じ身体の上にある。荒木経惟が冒頭で女王姿の砂羽を撮るカットは、原作写真集の視線を作中へ持ち込んだ宣言でもある。杉本彩の冴子、宮藤官九郎と阿部サダヲの劇団員、萩原流行のヤクザ客、大杉漣の板責め、田口トモロヲのナイフの男、哀川翔のレンズ噛み——1994年の顔ぶれが、SMクラブとホテトルと小劇場を同じ東京の生活圏に置いている。女王のバイトと劇団の稽古を同じ女の一日に重ねたことが、この映画のSMを「異常性愛」ではなく生活の側に置いている。キネマ旬報ベストテン第9位に入ったのも、ヘアヌードの話題だけでなく、ムチと料金表と稽古場を同じ高さで撮ったからだろう。












