BDSM(ビーディーエスエム)は、ボンデージ、ディシプリン、サディズム、マゾヒズムをひとまとめにして呼ぶ言葉である。B は Bondage(ボンデージ)、D は Discipline(ディシプリン)、SM は Sadism & Masochism(サディズムとマゾヒズム)。この四文字に収まらず、力と支配を中心にした幅広いキンクやフェティシズム、性的行動、遊び、関係を包括する。近い文脈では D&S、DS、D/S——Domination & Submission(支配と服従)——とも呼ばれる。SMと区別して、Bondage & Discipline(または Domination)& Submission & Manipulation(操作)などと原義を割り振ることもあり、解釈は一つではない。四文字の割り振り自体が、現場ごとにずれる。ボンデージを直訳すれば「捕われの身分」。ディシプリンは懲戒で、西洋では体罰による厳しい躾も意味する。サディズムは加虐、マゾヒズムは被虐。状況としての嗜虐と、行為としての嗜虐を含む広い言葉だ。縛ること、躾けること、虐げること、虐げられること。行為を終わらせる合図であるセーフワードを、あらかじめ決めておくことがある。力を使う遊びである以上、止める言葉が先に要る。
ロールプレイから蝋まで
ロールプレイでは、誘拐犯と被害者など役柄を決めて行う。傍目には実際の犯罪と間違われる場合も多い。だからセーフワードと、終わらせる合意が先に要る。エイジプレイは、日本では幼児プレイが一般的だが、父と娘、母と息子など年齢差のある役割を成人同士で演じるロールプレイである。ヒューマン・アニマル・ロールプレイは、パートナーを人間ではなく動物として扱う。ネコ、イヌ、ウマ(ポニーガール)が欧米では人気がある。オークションプレイは擬似的な人身売買の商品にする。フェムドムでは、逆レイププレイ——女が男を襲う——、顔面騎乗——男側が受け身——、射精管理——男性用貞操帯またはペニスケージで射精を管理する——、コック・アンド・ボール・トーチャー(CBT)——陰茎と睾丸を責める——、逆アナルセックス——女がペニスバンドで男の肛門を犯す——が並ぶ。女が攻め、男が受け、射精の許可まで女が持つ。ポゼッションプレイはパートナーを家具にする。ベッドのマットレスをくり抜いて入れその上で寝る、ソファーとクッションの間に入れる、椅子にする、など。緊縛プレイは縄で縛る。ろうそくプレイは火のついた蝋を傾け、滴る溶けた蝋を肉体に垂らす。強制女性化は、服従側を女装させ、女性的に振る舞うよう調教する。役を決め、縄を掛け、蝋を垂らし、家具にする。プレイの例は、力の向きを変える装置のカタログでもある。
病理ではない、という研究
Richters ら(2008)の社会的(非医学的)調査では、BDSMを実践している人はより幅広い性的実践を経験していた。オーラル、アナル、複数のパートナー、グループセックス、テレフォンセックス、ポルノ視聴、性玩具、フィストファック、アニリングスなどである。経験の幅は広い。しかし実践者に、性行為を強制された、不幸になった、不安を感じた、性的困難を経験した、という傾向は見られなかった。むしろBDSMを実践していた男性は、そうでない男性より心理的苦痛の度合いが低かった。幅広いプレイをしていることと、壊れていることは、同じデータでは結びつかなかった。
現代の科学的基準を用いたBDSMの心理学的研究は少ない。Charles Moser によれば、BDSMに共通の症状や精神病理があるという証拠はなく、実践者が嗜好のゆえに特別な精神的問題を抱えているという証拠もない。壊れている証拠がない、というのが Moser の言い方だ。問題が起きやすいのは、自分を分類するときだ。「カミングアウト」の段階で、自分の「正常さ」を自問することがきわめて一般的である。Moser によると、BDSM嗜好を自覚することが、いまの非BDSMな関係を壊すかもしれないという恐れを引き起こしうる。日常生活での差別への恐れと相まって、負担の大きな二重生活につながることもある。嗜好を否定すれば、ヴァニラなライフスタイルによるストレスと不満、パートナーを見つけられない不安が起きうる。ほとんどの場合、嗜好を取り除くことは不可能なので、取り除きたいという願望自体が心理的問題を起こすこともある。病理は嗜好そのものより、隠すことと消そうとすることの側にある。BDSM実践者が暴力的な犯罪をすることはめったになく、一般にその犯罪はBDSM実践と関係がない。Moser の研究は、実践者の社会的権利を否定する理由になる科学的証拠はない、と結論づけている。
スイスの精神分析者 Fritz Morgenthaler も、著書 Homosexuality, Heterosexuality, Perversion(1988)で同様の見方を共有する。問題は必ずしも非規範的な行動から起きるのではなく、ほとんどの場合、自らの嗜好に対する社会的反応から生じる、と主張した。1940年、精神分析家 Theodor Reik も暗に同じ結論に達している。壊れているのは嗜好ではなく、嗜好を見る社会の側だ、という線が、Reik から Morgenthaler へ、Moser へつながる。Moser の結論は、オーストラリアで行われた Richters ら(2008)の人口統計的・心理社会的研究によってさらに支持される。実践者は対照群より性的暴行を経験していない傾向にあり、不幸や不安を感じる傾向もなかった。BDSM男性は対照群より心理的幸福のレベルが高い。そして「BDSMは、マイノリティにとって端的に魅力ある性的関心またはサブカルチャーであり、過去の虐待や『正常な』セックスにともなう困難などによる病理学的症状ではない」と結論づけている。
性別と役割の決めつけ
どの性別が多いか、トップとボトムの割合はどうか、といった実証研究はあまりない。よくある誤解の一つは、女が男よりマゾヒズム的役割を担う、というものだ。Roy Baumeister(2010)の研究では、女より男のマゾヒストが多く、女性優位より男性優位の方が少なかった。画面や小説の型が、人数の実態とずれている。性別やマゾヒズム役割について決めつけてはならない、ということがここから示唆される。誤解の理由の一つは、女性性に関する社会的・文化的な固定観念である。マゾヒズムは、男性の女性化や女性の超女性的な衣装などを通じて、ステレオタイプな女性的要素を強調することもある。しかし服従的なマゾヒズム役割の傾向を、ステレオタイプな女性役割と結びつけて解釈すべきではない。多くのマゾヒズムのスクリプトには、そうした傾向は含まれていない。女がM、男がS、という割り振りは、データより先に物語の側にある。
Emily Prior によれば、女性マゾヒストのなかには伝統的な従属的役割を実践しているように見える人もいるかもしれない。だがBDSMでは、支配的役割でも服従的役割でも、女性たちは性的アイデンティティを通じて個人的能力を表現し経験できる。2013年、Prior はマゾヒストを自認する女性たちにインタビューし、性的アイデンティティとフェミニストとしてのアイデンティティのあいだに矛盾を感じているかを尋ねた。ほとんど矛盾は感じられておらず、むしろフェミニストとしてのアイデンティティが服従的な性的アイデンティティを支えている、と感じていた。服従的な性行動や性的アイデンティティは、場合によっては個人的・性的・感情的なニーズを満たす。たとえ服従的な性的アイデンティティがフェミニズムの理想から外れて見えるときでも、第3波フェミニズムはBDSMコミュニティの女性に、性的アイデンティティを充分に表現する場を提供している、と Prior は主張する。
クィアとの重なり、重ならない部分
BDSMに参加するすべての人がセクシュアル・マイノリティ(LGBTやクィア)であるわけではない。すべてのセクシュアル・マイノリティがBDSMに参加するわけでもない。重なる人もいれば、重ならない人もいる。ただし両者のコミュニティには歴史的に接点があった。ゲイバーとボンデージ店が密接していたエリアなどがその例だ。店の地図が、コミュニティの地図と重なっていた時期がある。四文字は道具のカタログではなく、合意のうえで力を扱う実践の傘である。セーフワードを決め、病理のレッテルを拒み、役割を性別に固定しない。Moser と Richters と Prior がそれぞれ示したのは、壊れている証拠はない、男のマゾは少なくない、服従とフェミニズムは矛盾しない、という話だ。そのうえで縄も蝋も家具も、同じ部屋で使える。












