龍崎飛鳥(りゅうざき あすか)は京都府出身の緊縛師である。1990年代から現場に立ち、SMショーを開き、映像レーベルとクラブを自分で立ち上げてきた。京都のSMを店と舞台の両方で広げた一人で、後年は舞踏や現代美術、障害者劇団の舞台にも縄を持ち込んでいる。SMの普及に大きな功績があったとされる。店のママ、レーベル主宰、海外公演、写真集、舞台助成まで、縄の仕事が一本で通っている。
京都からヨーロッパ、名古屋へ
1995年、京都SMクラブ「ローゼンクロイツ」(薔薇十字館)の初代ママを離れる。翌1996年、京都祇園に BAR-BARA the Bizarre を開き、SMビデオレーベル Velvet も立ち上げた。同じ年、ヨーロッパ最大級のエロスの祭典エロティカに一週間ゲストショーで出演し、そのあとデュッセルドルフのSMクラブ「モダンクリエイション」にゲスト緊縛師として一週間滞在する。1996年10月には二度目のドイツ公演を、デュッセルドルフのレインボーホールで行った。京都の店を軸に、欧州のSM現場へも足を運んでいる。
1997年、名古屋に BAR-BARA due をオープン(2003年閉店)。1998年には名古屋 velvet をオープン(2002年閉店)。1999年、スナイパーイブで妊婦ヌードを発表し、2000年に女児を出産して一児の母となる。2001年、アスペクト社の写真集『炎人〜バーニングマン』にモデル兼緊縛師として参加。荒木経惟の写真集『京都慕情』にも出ている。2002年、京都でSMクラブ傀儡堂を開いた。
札幌、美術、25周年の舞台
2012年、札幌に BAR-BARA due. を開き(2014年閉店)、傀儡堂弐をプロデュースしてオープンする。2018年9月から10月、京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAで、ベルリン在住のクリスチャン・ヤンコフスキーによる日本初個展「Floating World」に緊縛師として協力した。2019年2月10日、京都祇園 BAR-BARA the Bizarre の23周年記念パーティを LIVE HOUSE AmericanGraffities で開き、300名を超えるゲストを迎えた。
2020年3月30日、山海塾の石井健則仁、コンテンポラリーダンサー木村英一、エレクトロニクスアコーディオン奏者 ryotaro を中心に、舞踏+音楽+ダンス+緊縛のイベント「認識のできない自由さ」を、京都の UrBANGUILD で不定期に年1回開くようになる。このときの表現者名は「きしみ a.k.a 龍崎飛鳥」。理由は、緊縛ではなく縄の多様性を舞台芸術として使っているからだ。ダンサーなどを縛るとき、緊縛ではなく記号や条件として縄を使い、普段なら龍崎飛鳥として指導する際に禁忌としている緊縛を、あえて使うこともある。
2022年2月11日、コロナ禍のなか「バルバラ25周年特別記念公演 宮部企画共同制作」として、京都府立文化芸術会館でSMをテーマに BARBARA の生い立ちを舞台作品にし、1日限り1回の公演を決行した。文化庁から助成金が認可され、SMを文化として公的に通した形になる。2024年4月13日、大阪の身体障害者劇団・態変の主宰者、金滿里と、生と女性(性)について「Basket」というタイトルで、舞台とアフタートークを行った。金本人にとっても人生初の緊縛体験になった。
映像・テレビと、ショーを断る理由
映像作品は九鬼、シネマジック、奇箪倶楽部、北川プロなど。自らプロデュースするレーベル Velvet では『緊縛解体新書』ほか多数に、裏方から出演まで関わっている。マルチに動く側で、縛る人としても、作る人としても名前が出る。テレビは関西を中心に『トゥナイト2』や日本テレビのSM特番にも出た。店と映像と放送で、京都発の緊縛を外へ出してきた。
ショー出演は、本人はショーマンではないという価値観のもと、基本的にオファーを断っている。好きな表現ができる場所とタイミング、イベントのテーマ性に惹かれたときだけ立つ。日本では Lettel、メタモルフォシス、ブラックベール、Tattooコンベンション、サディスティックサーカス、デパートメントといった、性格のはっきりしたイベントと、懇意の店舗周年でショーを披露する。店を開き、縄を教え、映像を作り、舞台では縄を記号に変える——緊縛師としての線は、そこで一本につながっている。











