『奇譚クラブ』(きたんクラブ)は、1947年(昭和22年)11月から1975年(昭和50年)3月まで出た、サディズム・マゾヒズム・フェティシズム専門の読者投稿雑誌である。戦後カストリ雑誌の一冊として始まり、途中から本格的なSM誌へ舵を切った。団鬼六『花と蛇』、沼正三『家畜人ヤプー』がここから生まれ、川端康成、三島由紀夫、江戸川乱歩、澁澤龍彦、寺山修司が読者に名を連ねる。書店の平積みに乗る全国誌として、1950年代前半の最盛期には5万から8万部と見積もられている。日本のSMコミュニティがサークルを持つ前に、匿名の投稿と文通で愛好家をつないだ媒体である。
B5判のカストリ雑誌として出発し、1952年5・6月合併号からA5判にリニューアルした。出版社の名義は曙書房、天星社、暁出版(大阪)と変わるが、発行者は同じで実質は同一出版社である。1954年3月と1955年5月に、一時発行禁止処分を受けた。創刊したのは元『泉州日報』記者の吉田稔。翌年、絵を売り込みにきた須磨利之を社員に加える。売れ行きが落ちた1951年から、須磨が得意としていたSMへ内容を切り替え、人気を集めた。読み物であるだけでなく、匿名読者のための文通仲介と情報交換の場でもあった。1982年に「復刊」と称して創刊されたきたん社発行の『奇譚クラブ』は、後続関係が不明である。
SM文学の古典である団鬼六『花と蛇』と沼正三『家畜人ヤプー』は、この雑誌に発表された。創刊当初からエログロとしての女相撲記事を継続的に出し、のちに「女斗美」という言葉を生んだ。創刊年の頃から男色や男性同性愛も取り上げ、1947年12月号には男娼、男妾の記事がある。河原梓水は、村上信彦が「吾妻新」の筆名で多数寄稿していたことを実証している。作曲家の矢代秋雄も「麻生保」の筆名で熱心に投稿していた。緊縛師の明智伝鬼は、1949年頃に『奇譚クラブ』を読み、縛られた女性の美しさに目覚めたと語っている。1997年11月、出版50周年に合わせてユニ報創から平成版『奇譚クラブ』が出て、翌年7月の新装3号まで断続的に続いた。カストリ雑誌として出た1947年11月から終刊の1975年3月まで、28年近いあいだ全国の書店と郵便で匿名のSMが流通した。『花と蛇』と『家畜人ヤプー』がここから出たのは、読者投稿の場が、のちのSM文学の原稿用紙でもあったからだ。


