『問題SM小説』(もんだいエスエムしょうせつ)は、コバルト社が月刊で出していたSM小説専門誌である。創刊は1970年5月号、休刊は1975年。日本のSM小説誌にはすでに『奇譚クラブ』などの先駆があったが、誌名に「サドマゾ」を意味するアルファベット二文字「SM」を正面から据えたのは本誌が最初だった。誌名そのものがジャンルの看板になった、という点で嚆矢である。
サド誌からマゾ誌へ
創刊当初の誌面は、当時のSM小説誌と同じくサディスト向けの加虐作品が中心だった。やがて読者の重心がマゾヒスト側へ移り、被虐文学と読み物が主軸になる。1974年には表紙で「日本唯一のマゾヒスト専門誌」とうたうところまで振り切った。表紙写真もそれに合わせて変わった。初期は手錠をかけられた女性の上半身、足首を縄で縛られ大股を開いた着衣の女性の全身図など、サド読者向けのカラーだった。後期は男性を責める女王様、強気に見える女性のポートレートへ移る。口絵グラビアも同じ軌道をたどる。カラーも白黒も、女性の緊縛写真から、女王がマゾ男性を虐げる場面が主体になっていった。
別冊と掲載作
姉妹誌に、1971年創刊の『別冊問題SM小説』がある。こちらは本誌より一年長く、1976年まで出た。本誌休刊の翌年まで別冊が残ったことで、コバルト社のSM小説ラインは本誌五年+別冊五年という短い寿命になった。本誌の掲載作では、1972年の三鬼俊「華麗なる肉のキャンバス」が知られる。三鬼俊は金沢のSM小説家・千草忠夫の別名義の一つであり、当時の専門誌が同一新人を誌面に重ねないよう筆名を分けていた事情とも重なる。千草は『奇譚クラブ』から本誌、鬼プロの『SMキング』まで横断して書いており、本誌は彼の発表媒体の一つでもあった。
『奇譚クラブ』が仮名のカストリ誌として先にSM小説を育てたのに対し、本誌は1970年5月号の創刊時点で「SM」を誌名に出した。サド向けの加虐小説と、手錠・大股開きの表紙から始まり、四年後にはマゾヒスト専門を表紙で宣言する。女王が男を責める口絵へグラビアが移ったのは、読者層の変化を視覚で示している。月刊五年、別冊は1976年まで。看板の二文字を最初に掲げ、サドからマゾへ軸を移して消えた専門誌である。












