『デューク・オブ・バーガンディ』(The Duke of Burgundy)は2014年の英国エロティック恋愛ドラマ。ピーター・ストリックランドが脚本・監督。シッセ・バベット・クヌッセンがシンシア、キアラ・ダンナがイヴリンを演じる。レズビアンBDSMを日常の労働として撮った、最も知的な映画の一本だ。赤部屋の、熱が冷めない幻想ではない。儀式、台本、消耗、そしてサブの飢えがドムを、本人がほとんど支えきれない役へ徴用する様子の研究である。トロント、BFIロンドン、ロッテルダムの映画祭は強い評で迎えた。キンクを読む観客には必見の映像だ。蝶学を装飾に、D/sの婚姻が新しさよりループを欲するがゆえに、同じ場を何度も開き直す。
フランコの系譜、年齢差、メイド労働
ストリックランドはスペインのエクスプロイテーション作家ヘスス・フランコを影響として挙げ、フランコの常連モニカ・スウィンを起用した。スウィンは1982年に引退し、三十年以上ぶりの出演だった。フランコの系譜は冗談のカメオではない。柔らかく、夢みがちで、フェティシ隣接の欧州エロティック映画の血統に置きつつ、純搾取を拒み、権力交換についてより冷たく正直なものへ替える。クヌッセンのシンシアとダンナのイヴリンがエロティックな論証の全部を担う。年齢差、学術ヒエラルキー、メイド奉仕、「罰」を突発の嵐ではなく予定された行事にする私的台本。
鱗翅目、メイド基準、指示を書くのは誰か
イヴリンは年長のシンシアのもとで鱗翅目学を学ぶ。シンシアは蛾と蝶を講義する。イヴリンは同時に恋人であり、家庭のメイドであり、硬い清潔と振る舞いの基準に縛られる。仕事がシンシアの期待を外すと罰を受ける。フィルムは階層の下の構造をゆっくり見せる。指示を書いているのはイヴリンだ。プレイの場を台本化し、二人は同じ儀式を毎日再演する。イヴリンは場を性的に興奮する。シンシアが演じるのは、多くは愛人を満たすためだ。つまり支配はシンシアの原生の食欲ではない。愛として差し出す労働だ。
イヴリンの誕生日、シンシアは大きい贈り物を試す。大工に、下に引き出しのあるベッドを発注し、イヴリンがそこに「罰として」眠れるようにする。イヴリンは工期の長さに不満で、結局拒む。それから条件を積み上げ、夜はトランクに鍵をかけてほしいと求める。シンシアは同意し、新しい身体的分離を恨む。トランクをベッド脇へ運んで背中を傷め、老いを意識する。関係はほころぶ。イヴリンの期待が、シンシアの身体と熱意を追い越す。のちシンシアは、イヴリンが別の講師のブーツを磨いたと非難し、裏切りと読む。イヴリンの誕生日、不機嫌は結晶する。シンシアはイヴリンに自分の誕生日ケーキを焼かせ、寝そべって足をイヴリンの顔に置き、それを食べる。イヴリンはこの場を喜ばず、セーフワード pinastri を呼ぶ。シンシアは無視する。馴染みのプレイをまた始め、シンシアは役を壊して泣く。イヴリンは慰め、愛を言う。さらに先で、フィルムはイヴリンの指示紙が焼かれ、罰のトランクが運び出されるのを見せる。結末、イヴリンは玄関へ戻り、呼び鈴を鳴らし、循環が再開する。儀式は告白のあとにも生きる。ループが関係そのものだ。
キャスト、題名の蝶
シッセ・バベット・クヌッセンがシンシア、キアラ・ダンナがイヴリン、モニカ・スウィンがLorna、Eugenia CarusoがFraxini博士、Fatma Mohamedが大工、Kata BartschがLurida博士、Eszter TompaがViridana博士、Zita KraszkóがSchuller博士。脇の講師と職人は、昆虫学と奉仕の閉じた女性世界を埋める。柔らかい蛾色の泡。D/sはナイトクラブの劇場ではなく、家庭のインフラだ。題名はバーガンディ公爵蝶(Hamearis lucina)を指す。この種が貴族名を得た理由は、昆虫学の伝承ではもうきれいに説明できない。「昆虫学古代の霧の中で失われた」。その霧は映画に合う。美しい命名、不明な起源、学者の視線の下にピン留めされた生き物。ストリックランドがシンシアとイヴリンの周りに組むエロティック=科学の気分そのものだ。
批評、賞、Cat’s Eyesの音楽
批評は圧倒的に肯定的だった。Rotten Tomatoesは約101本中94パーセント支持、平均は8/10近く。総意は「スタイリッシュ、官能的、知的」で、エロティック映画に中身があり得るとした。Metacriticは24本で87/100(「普遍的称賛」)。『A.V. Club』は2015年4位、2010年代34位。IndieWire批評家投票は当年3位、のち十年リスト69位。Cat’s Eyesのスコアは単独で褒められ、2015年2月にサウンドトラック盤が出た。ストリックランドはハンプトンズ国際映画祭でWouter Barendrecht開拓的ヴィジョン賞。映画は第23回フィラデルフィア映画祭グランプリを取った。
キンク観客が棚に残す理由
ハウツーではない。交渉された儀式が、なお痛む肖像だ。台本、怒りのうちに無視され得るセーフワード、支配を演じている支配者、自分の罰カレンダーを設計する服従者、外れる誕生日の贈り物、指示を焼いてもループから完全には出ない決定。D/sを生きる成人は労働の問題を認める。シンシアの背中が折れる夜、トランクが熱ではなく流刑に感じる日、顔の上の足がプレイから強制へ変わる瞬間。消耗についての正直さが、この映画のエロティックな知性だ。対比が欲しければ、より柔らかいSM恋愛と組めばよい。レズビアンの権力交換を、関係の労働、科学的執着、美しい蛾の粉の強迫として扱う映画が欲しければ——あと始末のいらない完璧な一場ではなく——中央に置け。











