BDSM → 去勢 → カストラート
ヴェナンツィオ・ラウッツィーニ(Venanzio Rauzzini, 1746年12月19日 – 1810年4月8日)は、イタリア人のカストラート、作曲家、ピアニスト、歌唱指導者、演奏会興行者。
ラウッツィーニは少年期、システィーナ礼拝堂の合唱団に所属しており、ドメニコ・コッリとムツィオ・クレメンティの弟子であった。またローマではジュゼッペ・サンタレッリに、ナポリではニコラ・ポルポラに師事している。
生涯
ラウッツィーニはカメリーノに生まれた。彼がオペラデビューを果たしたのは1765年、ローマのヴァッレ劇場であり、ニコロ・ピッチンニのオペラ「Il finto astrologo」で男性役の1人を演じた。1766年にはヴェネツィアのサン・サムエレ劇場で歌い、その後の1766年から1767年にはバイエルン国立歌劇場の舞台に上がった。ラウッツィーニは多くの既婚女性と浮名を流したために、ミュンヘンの宮廷を去らねばならなくなった。次に1767年に彼がウィーンの宮廷で歌った際には、モーツァルトが聴いていた。モーツァルトは「ラウッツィーニの歌声を聴いて喜んだ反応をし、ミラノで『ルチオ・シッラ』(1772年)の主役を演じて欲しいと申し出た。その後、特に彼のためにモテット『エクスルターテ・ユビラーテ』(1773年)を作曲している。」
ラウッツィーニは1770年代初頭にはヴェネツィアとミュンヘンでの演奏活動に復帰し、1774年から舞台を退く1778年まではロンドンでも大きな興行的成功を収めた。オペラ歌手として第一線を退いた後、彼は歌唱とピアノの指導を行い、また多くのオペラを作曲した。数年間ロンドンに暮らした後の1780年にバースに居を構え、1781年にニュー・アセンブリー・ルーム・コンサートの指揮者となった。ハイドンは1794年にラウッツィーニの元に滞在し、もてなしへの返礼としてカノン「タークは忠実な犬でした Turk was a Faithful Dog」を作曲した。題はラウッツィーニの愛犬の記念碑からとられている。ラウッツィーニの著名な弟子にはスティーヴン・ストレース、ナンシー・ストレース、マイケル・ケリー、ジョン・ブラハムらがいる。ラウッツィーニは、1781年頃から1810年に没するまでバースで演奏会の指揮、興行を行った。彼の弟子の多くは、彼が毎年開催する予約演奏会に登場した。彼は生前に自らの歌唱法のアイデアを記した声楽教本や、一冊の専門書を出版している。ラウッツィーニはバース大聖堂に埋葬されており、聖堂には弟子のナンシー・ストレースとブラハムが彼を記念する碑を建てている。
オペラ作品
「Piramo e Tisbe」 ラニエーリ・デ・カルツァビージ台本 (ロンドン、ヒズ・マジェスティーズ・シアター、1775年3月16日)
「L’ali d’amore」 Carlo Francesco Badini台本 (1776年)
「L’eroe cinese」 ピエトロ・メタスタージオ台本 (1782年)
「Creusa in Delfo」 Gaspare Martinelli台本 (1783年)
「Alina ossia La regina di Golconda」 Antonio Andrei台本 (1784年)
「La vestale」 Carlo Francesco Badini台本 (1787年)
脚注
出典
参考文献
P. Barbier (1989). The World of the Castrati: The History of an Extraordinary Operatic Phenomenon transl. M. Crosland, Souvenir Press
Emerson, Isabelle Putnam (2005) Five Centuries of Women Singers. Greenwood Publishing Group.