ジェームズ・マーク・ウォード(James Mark Ward、1941年6月28日生まれ)はアメリカのボディピアサーだ。MTVは2004年ドキュメンタリー『The Social History of Piercing』で「現代ボディピアシング運動の祖父」と呼んだ。店Gauntletは、商業的な西洋ピアシング産業の号砲として広く扱われる。レザーとキンクの史家にとって、話は針と鋼だけではない。ゲイSMクラブ文化、宝飾の手仕事、ウェストハリウッドの店先が、私的な儀礼的改造を世界規模のサービス業へ変えた経路だ。
レザークラブ、乳首、性器
1941年、オクラホマ西部に生まれ、十一歳でコロラドへ移る。1967年、ニューヨークでゲイS&M集団New York Motorbike Clubに入り、宝飾制作を学びながら乳首ピアスの実験を始めた。レザークラブの性と金属工芸の二重徒弟が、現代ピアシングの根系だ。エロティックな実践であり、技術的な商売でもある。のちコロラドへ戻り、ゲイのRocky Mountaineer Motorcycle Clubに入り、性器ピアスへ進んだ。1973年、ロサンゼルスのゲイ村ウェストハリウッドへ移り、ダグ・マロイ(Doug Malloy)と会う。二人で基本技法と機材を育て、業界標準になった。場当たりのクラブ実験が、再現可能な手仕事に見え始めた。
固定ビーズリング、内ネジバーベル
ウォードは固定ビーズリングと内ネジバーベルなどのジュエリー形を先駆けた。フランクフルトのドイツ人タトゥー=ピアサー、ホルスト・ストレッケンバッハ(Horst Streckenbach、「Tattoo Samy」)と、ハノーファーの弟子マンフレート「Tattoo」コールス(Manfred Kohrs)が、バーベル型ジュエリーを見せた。ウォードの記憶では、サミーがマロイ経由でロサンゼルスを訪れ、内ネジのスタッドを示した。理屈があまりに自明で、すぐ自分の客用に逆設計した。「内ネジだった。あまりに理にかなう特徴だったので、自分の客のためにすぐ再現に取りかかった」。内ネジバーベルと固定ビーズリングは今や当たり前で、新人は発明者がいたこと自体を知らない。ウォードの世代が、即席の針金から、量産に耐える、より安全で清潔な専用金具へピアシングジュエリーを動かした。
居間から店先へ、1978年11月17日
マロイの資金(マロイのMuzak社での仕事に結びついた金)で、ウォードは1975年、自宅をGauntlet名の私的ピアススタジオとして使い始めた。初期客はマロイが渡したメーリングリストと、地元ゲイ・フェティシ誌の三行広告——シーンの網が販路だった。道具と方法を三年練ったあと、1978年11月17日、ウェストハリウッドに商業店を開く。この店の開設は、米国初の同種事業、ボディピアシング産業そのものの開始としてよく引用される。水夫の伝承でも地下SM儀礼だけでもなく、営業時間とジュエリーケースと表の扉を持つ店だ。
PFIQ、名誉、産業化された身体改造
1977年、マロイとFakir Musafarの助けでPiercing Fans International Quarterly(PFIQ)を始めた。技法、ジュエリー、写真、コミュニティ論争の初期活字中枢になった。フェティシ衣服の場面がカタログを要し、レザーバーが会報を要したのと並行する。ウォードの影響は三つだ。道具、店の型、メディア。2020年にLeather Hall of Fame、Society of Janus Hall of Fameにも入っている。名誉は、主流タトゥー誌の有名人としてだけでなく、レザー/BDSMの制度記憶の内側に彼を置く。
現代スタジオのピアス——同意書、オートクレーブ、インプラントグレード鋼、耳たぶから性器までのメニュー——は、身体を改造可能なエロティック領域として扱い、実践を職業化したSMモーターサイクリストが流した基礎の上に乗る。西洋でその職業化に最も頻繁に結びつく名がジム・ウォードだ。最初の店としてのGauntlet、最初の雑誌文化としてのPFIQ、既定の鋼としてのバーベルとビーズリング。「祖父」は宣伝の略号だ。発明の在庫が、本当の出典である。











