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レザークラブから店先へ:ジム・ウォードとピアシングの職業化

ジェームズ・マーク・ウォード(James Mark Ward)は、MTVの2004年ドキュメンタリー『The Social History of Piercing』で「現代ボディピアシング運動の祖父」と呼ばれた。レザーとキンクの史を知る読者にとって、ジム・ウォードの話は針と鋼の進化だけではない。ゲイSMクラブ文化、宝飾の手仕事、ウェストハリウッドの商業店が絡まった産物だ。私的な儀礼的な身体改造を、世界規模のサービス業へ変えた。1978年11月17日、ウェストハリウッドに開いた店Gauntletは、商業化した西洋ピアシング産業の号砲としてよく扱われる。水夫の伝承や地下SM儀礼から、営業時間とジュエリーケースと表の扉を持つ商売への移行を印す。

レザーと金属の二重徒弟

ウォードは1941年6月28日生まれ、オクラホマ西部で育ち、十一歳でコロラドへ移る。ピアシングの根はゲイSMクラブの二重の伝統——エロティックな実践と金属工芸——にある。1967年、ニューヨークでゲイS&M集団New York Motorbike Clubに入った。そこで宝飾制作を学びながら、乳首ピアスを試し始めた。この経験が現代ピアシングの地色になる。性愛の一部であり、売買できる技術でもある。のちコロラドへ戻り、ゲイのRocky Mountaineer Motorcycle Clubに入り、技を性器ピアスまで伸ばした。

内ネジと固定ビーズリング

ウォードは同僚ダグ・マロイ(Doug Malloy)とともに、クラブで仮に試していた技法と機材を、再現でき標準になる手仕事へ磨いた。ジュエリー形では、ウォードは固定ビーズリング(captive bead ring)と内ネジバーベル(internally threaded barbell)の先駆のひとりだ。フランクフルトのドイツ人タトゥー=ピアサー、ホルスト・ストレッケンバッハ(Horst Streckenbach、「Tattoo Samy」)と、ハノーファーの弟子マンフレート「Tattoo」コールス(Manfred Kohrs)がバーベル型ジュエリーを見せていた。ウォードの記憶では、サミーがマロイ経由でロサンゼルスを訪れ、内ネジのスタッドを示した。理屈があまりに自明で、すぐ自分の客用に逆設計した。

内ネジバーベルと固定ビーズリングは今や当たり前で、新人は発明者を見落とす。ウォードの世代の寄与は、ピアシングジュエリーを即席の針金から、量産に耐える、より清潔で専用の金具へ上げたことにある。材料から工芸へのこの更新が、のちの職業化の物質的基盤になった。

居間のスタジオから商業店へ

1973年、ウォードはロサンゼルスのゲイ村ウェストハリウッドへ移る。マロイが出資した。金はマロイのMuzak社での仕事に結びついていた。ウォードは1975年から自宅をGauntlet名の私的ピアススタジオとして使い始めた。初期の客はマロイが渡したメーリングリストと、地元ゲイ・フェティシ誌の三行広告から来た。三年道具と方法を練ったあと、1978年11月17日、Gauntletはウェストハリウッドで正式に開業する。この店は米国初の同種事業としてよく引かれる。意味は、特定のサブカルチャーに閉じず、公衆向けのサービス業態になった点にある。

メディアと制度記憶

実店舗のほか、ウォードの影響は活字でも広がった。1977年、マロイとFakir Musafarの助けで『Piercing Fans International Quarterly』(PFIQ)を創刊した。技法、ジュエリー、写真、コミュニティ論争の中枢になり、ピアシング文化の普及を大きく押した。

ウォードの影響は三つにまとめられることが多い。道具、店の型、メディア。2020年、Leather Hall of FameとSociety of Janus Hall of Fameに入った。これらの名誉は、彼をレザーとBDSMの制度記憶にしっかり埋め込む。地位は主流タトゥー誌の認知だけでなく、業界の下層の論理を組み直したことに由来する。当代スタジオでよく見る同意書、オートクレーブ、インプラントグレード鋼、耳たぶから性器までのメニューは、彼とその世代のSMモーターサイクリストが打った職業化の基礎の上に乗る。GauntletとPFIQは表だ。裏にあるのは、技術と標準についての発明の在庫である。

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